連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka


 東町奉行所の同心溜まりで、皐月親兵衛は一枚の読売を手にしてわなわなと震えていた。中央に墨一色の絵がある。坊主のような化けものが川から頭を突き出し、岸にいる町方同心らしき侍が仰天して尻餅を搗(つ)いている……という滑稽画だ。添えられている文章はつぎのとおりである。

「狐(きつね)、狸(たぬき)がひとを化かしていたのは昔のこと。近頃浪花(なにわ)の地に現れるは、幽魔(ゆうま)と申す新しき物(もの)の怪(け)にて、その筆頭は安治川(あじがわ)に出没する川坊主なり。雑喉場(ざこば)の魚を獲(と)つて食らひ、漁師の網を破る悪沙弥にて、近隣のものどもの憂ひ少なからず。東町奉行所の同心某、川坊主退治に出役したれど、未(いま)だ召し捕りたるの報聞かず。
 また、天満の源八渡にある土ノ坂にては、槌転びなる幽魔現れ、坂を転がり落ちては夜中に往来するものをおびやかす。某(あるひと)曰(いわ)く、槌転びは短小なる蛇なり。峠に棲(す)み、兎(うさぎ)や獣を食ひ、ときに旅人を嚙むことあり、と。
 また、これも天満にて尾のふたつに分かれたる猫あり。二尾の猫は古来猫又と云(い)ひて、後足にて立ち、踊りを踊り、人語を解す。まれにひとを嚙み殺してそのものに化け、祟りをなす忌むべきものなり。青物市場に勤むるもの三、四人、この猫又に襲われたりしが、勇を鼓して棒で叩き、石をぶつけて追い払う。そののちこの猫又の姿見られざりしと云ふ。
 何故(なにゆえ)かくも幽魔の出現の重なるや。或る物識(ものし)りの曰く、これ浪花の地に悪しきこと起きる前兆なり、疑うべからず、と。別の物識りの曰く、これ浪花の地に良きこと起きる吉祥(きちじょう)なり、景気上がるべし、と。余案ずるに、たまたま重なりたるのみにて、気遣ひなし。信ずるも信じざるも勝手次第」

(川坊主退治に出役している東町奉行所の同心といえば、わしのことではないか。つまり、この尻餅を搗いているのがわし、ということだ……)
 これで東町奉行所の同心が川坊主の召し捕りに動いていることが大坂中に知られてしまった。安治川沿いを歩いているだけで、妖怪を探しているのだな、という目で見られてしまうわけだ。
(こんなものを八幡(やはた)さまに読まれたらえらいことになる……)
 そのとき、同僚のひとりが部屋に入ってきて、
「皐月、八幡さまが探しておられたぞ」
(来たか……)
 皐月親兵衛は立ち上がると、その読売を丸めてふところにしまい、八幡のところに赴いた。心中の動揺は著しかった。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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