連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

(なんと申されるであろう。「こうして世間に東町が乗り出していることが知られてしまったというのに、まだなんの手がかりも摑めておらぬとは情けない!」……それぐらいの叱責で済めばよいが……「この無様な絵はなんだ! 東町奉行所が物笑いにされておるではないか! それというのも貴様がまだなんの手がかりも摑めていないからじゃ!」……そんなことも申されそうだ。もしかすると、「だれが東町同心が動いていることを瓦版屋に漏らしたのだ! それを突きとめてお縄にせよ! いや、瓦版屋ごとひっくくってしまえ!」……などと言い出されたら、当面、まともな事件を扱う暇がなくなってしまう……。いずれにしても困ったことだ……)
 そんなことを思いながら、与力部屋の襖(ふすま)を開けると、
「おお、皐月か」
 皐月は息がとまりそうになった。八幡は読売を手にしていたのだ。皐月は膝を突いて頭を下げ、
「まことに……手前の不調法から……かかる始末になり……申し訳……」
「なにを申しておる」
「こうして東町奉行所の関わり合いが世間に顕(あら)わになったうえからは、決死の覚悟で川坊主召し捕りに粉骨砕身いたし、疾風迅雷の速さにて、勇猛果敢に、怒濤(どとう)のごとき……」
「おい、落ち着かぬか」
「また、これなる記事を書きたる読売の判屋を突きとめ、なにものが東町奉行所を虚仮(こけ)にしたかくなる文章を書き、なにものがこの秘事を漏らしたかをも暴き、白日のもとに晒(さら)さん所存でありますゆえ、今しばらくお待ちくだされ」
「はははは……川坊主の一件を判屋に言うたは、このわしじゃ」
 童顔の与力は言った。
「どどどういうことです」
「顔見知りの判屋が参っての、なにか良き種はないか、と言うので教えてやった。海坊主ならぬ川坊主と名付けたのもわしじゃ。おまえの名も出しておいたのじゃが、同心某になっておる。なれど、この絵の武士の顔はおまえに似ておるのう。そのあと判屋は、槌転びと猫又についてもみずから調べ、一枚にまとめたのであろう。おまえも判屋に負けぬように、一刻も早う川坊主を捕えてくれい」
「ははっ」
 かしこまりながらも皐月は、
(この御仁はなにを考えておられるのか……)
 と思っていた。化けものの件を首尾よく解決できたとしても、どうせ正体見たり枯れ尾花で、世間からは「暇な同心」としてせせら笑われるにちがいない。こんなことに首を突っ込んでいるうちに、同僚たちはつぎつぎと難事件を処理して出世していくにちがいない。八幡弓太郎(ゆみたろう)は、出世欲と妖怪好きのふたつの思いに挟まれて、わけがわからなくなっているのではないだろうか……。
(こんな上役のしたについていて大丈夫なのか……)
 皐月はそう思った。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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