連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「玉吉、このお方は……?」
 番頭が言うと、玉吉が答えるよりも早くその山伏は、
「祟りじゃ。黒猫の祟りじゃ」
 番頭は顔をしかめ、
「なにを言うてはりますねん。商売の邪魔やさかい帰っとくなはれ」
「そんなことをしてもよいのか? この店にはよからぬものが巣食うておる。今、それを除けばよし、さもなくばその悪しき魔物はこの店を遠からず滅ぼすであろう。そのものは、歳(とし)ふりて、一筋縄ではいかぬ物の怪なれど、わしの法力をもってすれば退散させることもできよう」
「アホなことを……。そんな魔物はここには……」
「では、黒猫はおらぬと申すか」
「い、いえ……黒猫は飼うとりますけどな……」
「そやつじゃ。そやつを見せい。話はそれからじゃ」
 番頭が一瞬迷ったとき、奥から主人の嘉右衛門がコマタを抱いて現れた。
「どうしたのや、なんや大きな声がするが……」
 山伏は嘉右衛門に駆け寄り、猫に向けて金剛杖を伸ばすと、
「こやつじゃ! こやつこそ祟り猫! 主、この猫を飼うておると、悪しきことあまた起こりて、店は潰れるぞ。それでもよいのか」
「いや……そんなこと言うたかて、この猫は鴻池はんの猫合わせ……」
「見よ、尾がふたつに分かれておる。これこそ物の怪の証拠! 手遅れにならぬうちに、わしが引き取って引導を渡してやる。さあ、猫を寄越せ」
 嘉右衛門も少しためらったが、コマタを抱いたまま横を向き、
「せっかくやけど、この猫は妖怪でもなんでもおまへん。いじめられて怪我をしていたかわいそうな猫でな、うちで大事に育てるつもりや。帰ってもらえますか」
「主(ぬし)にはその黒猫の恐ろしさがわかっておらぬゆえ、そのような悠長なことが言えるのじゃ。家中のものが食い殺されてからでは遅いのじゃぞ」
「ははは……そんな気遣いはおまへんわ。さあ、帰った帰った」
 山伏は苦々しげに嘉右衛門をにらむと、
「わしはまた明日来る。それまでにもう一度よう考えてみられよ」
 鈴懸をひるがえして去っていった。
「では、コマタは渡さなかったのですね。よかったじゃありませんか」
 雀丸が仕上げをしながらそう言うと、
「へえ……けど、昨日の晩……」
 夜中、手代の利助(りすけ)が厠(かわや)に立った。店のものは奥の手水(ちょうず)ではなく、廊下から縁に出て中庭にある手水を使うのが決まりだ。用をすまして寝所に戻ろうとした利助のまえに、一匹の黒猫が不意に現れた。それは、庇(ひさし)から下りてきたようにも思えたが、闇が凝って形になったようにも見えた。にゃああ……と鳴いたその猫の声にぞくっとした利助が、障子を開けて部屋に入ろうとしたとき、後ろから両肩を強く引っ張られた。利助はそのまま一回転して庭へ落ち、後頭部をしたたかに打った。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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