連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「助けとくなはれっ!」
 悲鳴を上げて両手両足をじたばたさせている利助のまわりに、起き出してきた店のものたちが集まったが、黒猫の姿も怪しいものの影も見当たらなかった……。
「なるほど……その黒猫はコマタだったのでしょうか」
「暗(くら)あてわからんかったそうだす。尾も一本やったか二本やったか……」
「庭に足跡はついていなかったのでしょうか」
「昼間、職人さんたちが大勢仕事してはりますので、足跡はぎょうさんついとります。どれがどれやら……」
「ふーん……」
「それで、今朝になってから……」
 丁稚は話を続けた。
 朝起きて、玉吉が表を掃除したあと、店の土間に来て驚いた。たくさんのネズミが大事な植木をかじっているではないか。
「こらっ……こらあっ!」
 玉吉は箒(ほうき)を振りかざして追い払おうとしたが、図々しいネズミたちは店のなかを走り回るだけだ。そこにコマタがものすごい勢いで走り込んできて、ネズミたちをあっというまに放逐してしまった。
「まるで、猫というより虎みたいだした」
「さすが、猫合わせの本吟味に残った猫ですね。でも、どうしてそんなにたくさんのネズミが入り込んだのでしょう」
「わかりまへん。そのあと……」
 神棚に水をあげようとした玉吉は、お神酒(みき)徳利が床に落ちて割れていることに気づいた。さっきのネズミの仕業だろうか。そう思って神棚を見た玉吉は、榊(さかき)が燃えているのに気付き、あわてて消そうとしたが、火は注連縄(しめなわ)に燃え移った。
「だれか! だれか!」
 玉吉の叫び声に、手代の利助と番頭が駆けつけ、必死に消火した。神棚はほとんど燃えてしまったが、あとは天井が少し焦げただけで済んだ。
「一歩まちごうたら大事(おおごと)やったな……」
 番頭が汗を拭きながら言った。
「おかしおますなあ。灯明もつけてへんさかい、火の気なんぞないはずやけど……」
 そう言いながら利助が転がり落ちていたお神酒徳利を拾い上げたとき、
「番頭さん、これ見とくなはれ」
 利助は床板を指差した。そこには徳利からこぼれた水で濡れたらしい猫の足形がついていた。
「それで終わりですか」
 雀丸が言うと、玉吉はかぶりを振り、
「旦さんが……」
「嘉右衛門さんになにかありましたか」



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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