連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 玉吉の話によると、嘉右衛門は居間で昼食をしたためていた。三毛が死んだあと寝たり起きたりで食も細かった嘉右衛門だが、コマタが来てからというものみるみる元気になり、食欲も戻った。今日は、アナゴを開いたものを魚屋が持ってきたのでそれを付け焼きにし、炊き立ての熱々のご飯に載せて、ワカメの味噌汁、大根の漬けものとともに食していた。コマタは、嘉右衛門の膝のうえで冷めた飯に刻んだアナゴを載せ、味噌汁を少しかけたものを食べている。
「美味いのう。コマタと食べるといっそう美味く思えるわ」
 嘉右衛門は上機嫌だった。番頭が、ネズミの件や神棚の件を報告しても、
「ネズミは外から入ってきたんやろ。それに、灯明が風で倒れるのはようあるこっちゃ。コマタが祟り猫? そんなわけないやろ。――なあ、コマタ」
 と取り合わない。給仕をしていたおとめという女子衆(おなごし)が味噌汁が冷めたので台所で鍋ごと温(ぬく)めなおし、もう一度運んできて、椀に入れた。その味噌汁をひと口飲んだ嘉右衛門は、
「げっ!」
 と吐き出した。そして、苦しそうにむせ返りはじめた。顔色が蒼黒(あおぐろ)く変じたので、あわてて手代の利助が医者の道隆を呼びにいった。駆けつけた道隆はすぐに吐瀉薬(としゃやく)を処方し、嘉右衛門の胃の腑(ふ)にあったものをすべて吐き出させた。
「それで旦さんはなんとか助かりましたんや。ちょっとでも手当てが遅れていたら危なかったそうだす」
「道隆先生の診立てはどうなんです」
「猫いらずや、て言うてはりました」
「猫いらず?」
「へえ……朝からネズミがぎょうさん出ましたやろ。わてと番頭さんとふたりで猫いらずをあちこち仕掛けましたんや。たぶんそれがまちごうて鍋に入ったんやろと思います。まあ、鍋に入りそうなところには仕掛けてまへんけど」
 聞きようによっては、べつの意味がありそうな言葉である。
「そのおとめさんという女子衆は、まえからいるひとですか」
「わてよりも古うからいてはります。信のおけるひとでおます」
「そうですか。――おとめさんは鍋を温めなおすときに、目を離したり、その場から出ていったりしてませんか」
「それが、カンテキに鍋をかけてすぐに番頭さんに呼ばれてお店に出はったそうで、そのあいだやったらなんぼでも猫いらずを入れられますねん」
「うーん……」
「それと……旦さんが吐いたもののなかに、猫の毛が混じってましたんや」
 これには雀丸も驚いた。
「色は黒でしたか」
 玉吉はうなずき、
「そんなこんなでどたばたしてるときに、またあの山伏が来よりましてな……」
 山伏は店内をひと目見るなり、
「そおれ、わしの言うたとおりであろう。祟りがはじまったぞ! 主を呼びなされ」
「主は伏せっておりますが……」
「よいから呼べ。由々しきことじゃ」
 番頭に支えられて嘉右衛門は店に出てきた。山伏は金剛杖の先で店の土間をひと突きすると、
「昨夜から今朝にかけて、この家によろずの禍事(まがごと)が起きたであろう。これはまだ序の口。今後も続き、ついにはすべてが絶え果てるのじゃ」
 心当たりのある嘉右衛門や番頭は蒼白(そうはく)になった。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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