連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻3 田中啓文 Hirofumi Tanaka



 帯のように横長の雲が月を隠した。大川の流れるひたひたという音が東側と南側から聞こえてくる。黒々と地面に伸びた根子屋(ねこや)の影に、ふたつの影が吸い込まれていく。
「おい……」
 ひとりが合図をすると、もうひとりはくぐり戸のまえにひざまずき、太くて長い針のようなものを取り出して鍵を外そうとしている。ふたりともだぶだぶした褐色の装束を着、顔は覆面様のもので隠している。
「おい……早(はよ)うせえ」
「そう言われてもなかなかこいつが……」
 ガリッ、ガリッ、ガリガリ……。
「あまり音を立てるな。起きてこられたら困る」
 ガリッ、ガリッ……。
「おかしいなあ……昨日はすんなり開いたのに……」
「一度抜いてからやり直せ」
「へえ……」
 ひざまずいた男は針を戸の隙間から引き抜き、どこへ突っ込もうかといろいろ探っている。立ったままその作業を見下ろしている男は、
「それにしても嘉右衛門(かえもん)のやつ、祟(たた)りで脅かしたらすんなり猫を引き渡すかと思うたが、かえって頑なになりよった。こうなったら猫を盗み出すしかない、というのが旦那の考えやが……」
 そうつぶやいたとき、カタリという音がして、
「あれえ?」
 ひざまずいた男が大きな声を出したので、
「ど、どうした」
「あははは……なんやわからんけど勝手に開いた。よかったよかった」
「おい、それって……」
 くぐり戸が内側から開き、そこからふたりの男が現れた。ひとりはひょろりとした町人で手に火吹き竹を持っている。もうひとりは同じく町人だがなにも持たず、拳を握ったまま両手をだらりと下げている。
「だれだ、おまえらは」
「横町(よこまち)奉行竹光屋雀丸(たけみつやすずめまる)」
「しゃべりの夢八(ゆめはち)」
 盗人ふたりは立ちすくんだが、すぐに気を取り直し、
「やってしまえ」
「おう!」
 ともに匕首(あいくち)を抜き合わせ、武器を持たぬ夢八を組み易しと見たか、ふたりとも彼に向かって突っ込んできた。夢八は一歩も引かず、右腕を動かした。先頭の男の横っ面に石礫(いしつぶて)が叩きつけられた。
「ひぎゃっ」
 男は泣き声を上げて、根子屋の大戸に激突した。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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