連載
浮世奉行と三悪人
第十話 海老蟹合戦の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka



「今日も元気だ、酒が美味(うま)い!」
 地雷屋蟇五郎(じらいやひきごろう)は吠(ほ)えるような声でそう言うと、盃(さかずき)を干した。蟇五郎は、その名のとおり蟇蛙(ひきがえる)に似た面相をしている。贅肉(ぜいにく)の衣を着たような体軀(たいく)で、目と目のあいだが離れ、口が大きく、唇が薄い。これで「ゲコゲコ」とでも鳴いたら、芝居に出てくる自来也(じらいや)の蝦蟇(がま)と間違われるだろう。そんな蟇五郎は、一日の仕事を終え、奥座敷で酒を飲んでいた。酌をしているのは玉(たま)という若い女である。もとは北新地(きたしんち)の美妓(びぎ)だったが、蟇五郎が「美味い酒を飲む」だけのために大金で身請(みう)けしたのだ。妾(めかけ)ではないので、玉の仕事は蟇五郎に酌をし、話し相手になるだけである。
「よろしゅおますなあ、旦(だん)さんは。お元気やし、商いも調子がええし……なんの心配もないんとちがいますか」
「今のところはそやな。けど、こんなんは夢見てるようなもんや。いつ、どうなるかだれにもわからへん」
「けど、そろそろ余ったお金を貸したらどないだす? それがいちばん儲(もう)かるそうだっせ」
「アホ言うな。わしは金貸しやない。廻船(かいせん)問屋や」
「けど、鴻池(こうのいけ)はんも住友はんも、大名貸しで儲けてはるて聞きましたで。寝てても利子でお金が入ってくる、ゆうて……」
「あんなもんに手ぇ出したらおしまいや。どこの大名も貧乏なもんやで。あんまり返済が遅れると商人が貸し渋るようになるさかい、米を形(かた)にして金を借りる。そのために飢饉(ききん)であろうがおかまいなしに、百姓から年貢米をむしりとって大坂に送る。そんな無理な仕組みはそのうちに潰れてしまうやろ。そうなったらことやで。いや、現に今もそうなりかけとる。大名のなかには、どうしても返済ができんようになると『お断り』ゆうことをするもんがおる」
「お断り?」
「借金踏み倒しの宣言や。これをかまされたら、貸してた商人は泣き寝入りせなしゃあない。わしは、なんぼ大名が貸してくれて言うてきたかて、やるつもりはない」
「ははあ、そういうもんだすか。ほな、鴻池はんや住友はんも……」
「危ういやろな。いまさら貸したほうも借りてるほうもやめられんやろ」
 地雷屋は北浜(きたはま)の大川沿いにある廻船問屋である。鴻池、飯(めし)、住友……といった大豪商には及ばぬものの、大坂でも指折りの大店(おおだな)であった。使用人もたいへんな人数で、彼らが寝起きする長屋が敷地のなかにずらりと並んでいるさまは壮観である。



 
〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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