連載
浮世奉行と三悪人
第十話 海老蟹合戦の巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka



 加似江(かにえ)は、ひとり暮らしを満喫していた。三度の食事は、鴻池(こうのいけ)家の一番番頭弥曽次(やそじ)が丁稚(でっち)を引き連れて届けにくる。あんたは来んでもよろしい、丁稚さんだけで十分じゃ、と断っても、主(あるじ)に申し付けられておりますので、と律儀に休まずやってくる。
(一番番頭が日に三度も店を留守にするようなことでよいのかのう。もしかしたら日頃からたいした仕事を任されておらぬのかもしれぬ……)
 そう勘繰りたくもなる。だが、彼が持ってくる弁当は豪華そのものであった。朝から茗荷(みょうが)とネギ、生姜(しょうが)、大根おろしをたっぷりかけた冷奴(ひややっこ)、里芋とかぼちゃの煮物、カツオ節と生姜をかけた焼きナス、キノコの炊き込みご飯……などが並べられ、どうしても一杯飲(や)らざるをえない。一杯が二杯となり、三杯となるのは避けられない。カブの味噌汁(みそしる)、とうがんの亀甲煮、松茸(まつたけ)とハモの土瓶蒸し、カツオの刺身、鮭(さけ)の西京焼き、サワラの味噌漬け、タチウオの天ぷら、玉子の巻き焼き、ヒラメやカンパチの寿司(すし)……。いずれも一流の板前が選び抜いた最高の食材を使い、腕をふるって拵(こしら)えた贅沢(ぜいたく)極まりない料理である。
(うっはは……極楽じゃ。盆と正月が一度に来たわえ)
 近頃、質素な食事しかしていなかった加似江にとっては、夢のような日々であった。
(雀丸〈すずめまる〉は当分帰ってこんでよい。いや、帰ってこられると困る。いっそのこと、鴻池の別宅に忍び込んであやつの作りかけの竹光〈たけみつ〉をへし折ってこようか……)
 そんなことを半ば真面目(まじめ)に考えている加似江であった。あまりのごちそう責めに、何日かしたら飽きてしまうのではないか、漬け物でお茶漬けが食いたくなるのではないか、と思ったりしたが、まるで飽きない。
 しかも、金もふんだんにあった。弥曽次が、前渡し金として五両置いていったのだ。もっと渡してもよいのだが、ひとり暮らしで大金を持っていると物騒なのでこれだけにしておく、追加が欲しければいつでも言ってくれ……と行き届いた対応であった。
 ちょうどその日の昼餉(ひるげ)を食べ終えた加似江は、茶を飲んでいた。昼食の献立は素麺(そうめん)であった。素麺といってもありきたりのものではない。三輪(みわ)の五色素麺というやつで、しこしこと歯ごたえがある。薬味は、生姜、ネギ、梅肉、茗荷、わさび,焼き海苔(のり)などは言うに及ばず、鯛(たい)の焼きほぐし、焼きあなご、カマスの干物、カリカリに煎ったちりめんじゃこ、なめこ、椎茸(しいたけ)の含め煮、錦糸卵(きんしたまご)、炒(い)りゴマ、天かすなどがずらりと並んでいる。加似江はよく冷えた山盛りの素麺をつるつると食べ、酒を飲んだ。
「うーむ、食うた食うた。素麺というものは、案外、酒の肴(さかな)になるものじゃのう」
 加似江は突き出た腹を撫(な)でた。
「ごめんください」
 今は雀丸がいないので暖簾(のれん)を出していない。それなのに入ってくるとは……と加似江が入り口に顔を向けると、
「おお、園(その)殿か」
 同心皐月親兵衛(さつきしんべえ)の娘で雀丸のネコトモ、園である。ちなみにネコトモとは猫友だちという意味だそうである。



 
〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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