連載
浮世奉行と三悪人
第十話 海老蟹合戦の巻3 田中啓文 Hirofumi Tanaka



「鶴吉(つるきち)、なんであんたがここでお弁当食べてるんや!」
 さきは大声を出した。驚いた丁稚(でっち)の鶴吉は、里芋を喉に詰めて激しく咳き込んだ。
「それは、ここのご隠居さまが食べるためのご膳やないのか。それを盗み食いやなんて行儀悪いにもほどがあるで!」
 鶴吉は涙目になって胸を叩(たた)いていたが、やっと里芋が喉を通ったらしく、
「危なかったあ。嬢(とう)やん、ひとがもの食べてるときにびっくりさせたらあきまへんで。死んでしまいます」
「なにを言うてるんや。盗み食いのこと、謝りなはれ」
「盗み食いとちがいます。一番番頭さんに、食べてええ、て言われたさかいに食べてまんねん」
「弥曽次(やそじ)がそんなこと言うわけあらへん。――ご隠居さまはどこや?」
「いてはりまへんで」
「なんで……?」
「さあ、わてもよう知りまへんけど、なんでも『蟹(かに)沸かし』に遭(お)うた、とか言うてはりました。せやから、わてら丁稚が代わりべんたんにここで泊まって、こないしてご膳いただいてまんねん。けっして盗み食いやおまへんさかい、そこのところをよろしゅう。――ほな、残りのご膳いただきまっさ」
「ちょっと待ちなはれ。蟹沸かしてなんやの?」
「蟹沸かし、やなかったかいなあ。鴨(かも)沸かし、やったかなあ」
「え……それ、もしかしたら『かどわかし』とちがうのんか」
「ああ、それそれ! さすが嬢やん、よう知ってはりまんなあ」
 さきは呆然(ぼうぜん)とした。
「ご隠居さまがかどわかされた、てえらいことやないの。なんで弥曽次はそのことを雀(じゃく)さんとお父ちゃんに言わへんのや」
「知りまへん。そういうことはわてら丁稚は知らんでええのや、て番頭さんは言うてはりました。ほな、残りのご膳を……」
 そのとき、暖簾(のれん)をくぐって入ってきたのは、地雷屋蟇五郎(じらいやひきごろう)だった。さきは、
「地雷屋さん、どうしてここに……?」
「あんたは鴻池(こうのいけ)の……」
 蟇五郎はさきと丁稚を交互に見て、だいたいのことを察したらしく、
「バレてしもたか。おまはんとこの一番番頭が、旦那に知れたらクビになる、言うて泣いて頼むさかい、内緒にしといたのやが……」
「そんな……内緒にしてええことと悪いことがおます。ひとの命がかかっているのに……」
「わしもお園(その)ちゃんもそない言うたのやが、来年の別家もなにもつぶれてしまう、一生の頼みや、て言われたら、その気持ちもわからんでもないさかい……」
「だれがかどわかしたか、とか、どこにいる、とかは……」
「まだ皆目わからんのや。うちは商いを休んで、丁稚から手代から手伝いのもんから皆で探しとる。鬼御前(おにごぜん)や大尊和尚(だいそんおしょう)も手を貸してくれとる。けど……どこへ潜り込んだのやら」



 
〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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