よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻3

田中啓文Hirofumi Tanaka

 皆は下を向き、一瞬静かになった。雀丸はやれやれとばかり作業に戻ったが、空気を読まない加似江が言った。
「よう考えてみたら、その仇の名前やら年格好などもまだ聞いておらぬな。お父上を酒のうえのいざこざで斬り殺して出奔したというその国家老の息子、名はなんという」
「そやそや、それを聞いとかんと捜すに捜されへんわ」
「な、名前でござるか。それは……」
 左源太はうつむいて、口のなかでなにやらもごもご言っていたが、
「まさか忘れたわけやないやろな」
「そんなはずあるかい。たぶん口にするのも汚らわしい、と思てはるさかい、言いにくいのや」
「はよう申せ。もしかしたら心当たりがあるかもしれぬではないか」
 左源太はたねを盗み見たが、たねはまるで関心がないように煙草を吸い、鼻から煙を出している。加似江が、
「漏洩を気にしておるなら安堵(あんど)せよ。ここにおるものは皆、わしの知己ばかり。おまえがたが内密にしたいのなら、洩(も)れる気遣いはないぞよ。さあ、申してみい。仇の名はなんじゃ」
「さあ、言え」
「さあ」
「さあ」
「さあさあさあ……」
 まわりからせっつかれて、ついに左源太はひとりの名を口にした。
「仇の名は……その……皐月親兵衛(さつきしんべえ)と申す」
 又兵衛が、
「なるほど、仇だけあって悪そうな名前やな。なあ、五郎蔵」
「そやなあ。碌(ろく)でもない侍に違いないわ。――けど、どこかで聞いた名前やなあ」
「うーん……」
 仕事に集中しようとしていた雀丸までもが顔を上げて、
「私もなんとなく聞き覚えがありますが、たしかに悪党っぽい名前ですねえ」
 烏瓜諒太郎が、
「相わかった。市中でその名を耳にしたら、ただちに尊公にお知らせしよう」
 河野四郎兵衛も、
「わしも、雀のお宿に住むこどもらに捜させよう。吉報を待て」
 左源太は上目遣いに皆を見ながら、頭を下げている。そのとき、園が、
「あっ……!」
 と声を上げた。
「どうしました、園さん」
 雀丸がきくと、
「それって……もしかしたら私の父……」
「あーっ!」
 一同が声をそろえた。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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