よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻3

田中啓文Hirofumi Tanaka


「はなはおるか。兄が来た、と申せ」
 鬼御前が一家を構える口縄坂(くちなわざか)の家を訪れたのは、兄の武田新之丞(たけだしんのじょう)だった。応対に出た若い衆があわてて奥に飛び込んだ。しばらくして現れた鬼御前の服装や顔の化粧などを見て、新之丞は巨顔をしかめ、
「兄と会うときぐらい、まともな格好はできぬのか」
「これがあてのまともな格好や」
「おまえはまだ、俠客(きょうかく)ごっこをやめぬのか。そもそも女というものは……いや、まあ、それはよい」
 新之丞は咳払いして、
「わしが駿府(すんぷ)から当地に参っておるのは、駿府城代と大坂城代の関わりを強めるためだが、おまえも知っておるとおり、駿府界隈(かいわい)には博打(ばくち)打ち、渡世人、俠客、ヤクザものの類が多く、駿府城代や駿府町奉行所も手を焼いておる。そういう連中は、大坂や京の貸元とのつながりもあり、わしもいろいろと見聞したことを大坂の町奉行所にも伝え、大坂町奉行所からもこの界隈の俠客事情について教えてもろうた」
「なんや、兄(あに)さん。あてが俠客やから、世間に出てない裏のネタを上手い具合に仕入れたろうと思てるのならお門違いやで。あては同業をお上(かみ)に売るような真似はせえへんさかい……」
「そうではない」
 新之丞はいらいらと言った。
「その会合のとき、貸元でありながら十手取り縄を預かる、谷町の六郎七という親分の話が出た。そやつによると、清水(しみず)港に一家を構える次郎長(じろちょう)という今売り出し中の貸元が、旅の博打打ちに『にゃん竜』という刀を持ち去られ、やっきになって探しているそうだ。次郎長は、その六郎七にも刀の探索を頼んだらしく、六郎七が十手持ちであることから西町奉行所も手助けをしているらしい」
「そんなことはとうにわかってる。あてには関わりないことや」
「それはそうだが……わしがこの近所のものにあれこれきいて回ったところ、この家に若い旅の渡世人が担ぎ込まれるところを見た、というものがいた」
「え……」
「そやつは、谷町の六郎七のことは嫌(きろ)うておるゆえ、わしにだけ教えてくれたのだ。――二階におるのか。もしやそのもの、にゃん竜を持ち逃げしたヤクザではあるまいな」
「――知らん。違うと思うで。それより、なんでそんなこと、兄さんが近所にたずねて回るんや。あんたのご用と関わりないやろ。鬱陶しいさかい、やめてんか」
「おまえがどのような暮らしをしておるか、確かめておきたいと思うたのだ」
「はあ? 恥ずかしいことせんといて。役人の兄貴がおるとわかったら、世間を大手振って歩かれへんわ」
「上(かみ)役人のなにが恥ずかしい。ヤクザの妹を持つほうがずっと恥ずかしいわ!」
「せやから帰って、て言うてるやろ」
「そうはいかぬ。もしもおまえが匿(かくま)っておる渡世人が、次郎長の刀を盗んだ男だったなら、今に次郎長の一家がここへ押し寄せてくるかもしれぬ。そうなったら、田舎ヤクザの縄張り争いではすまぬぞ。大きな出入りとなる。近隣のものの難儀も限りなかろう。悪いことは言わぬ。その旅の男、少しでも怪しいと思ったら、すぐに叩き出してしまうのだ。おまえに災いが降りかからぬうちにな」
「兄さん、九官鳥がふところに入ったら漁師も釣り上げず、とかいうやろ。あては死んでもあの旅人を見捨てへんで」
「強情なやつだな。――じつはな、今度わしに縁談が持ち上がったのだ」
「ほー」
「相手は京の公家の娘だ。わしは養子で、大坂に妹がいる、ということは向こうも知っておる。おまえがここで騒ぎを起こしたら、相手の家にも、またわしの養家にも迷惑がかかる」
「はっ! やっぱりそういうことかいな。あてを気遣(きづこ)うてるようで、つまるところがおのれの心配や」
「当たり前だろう! ヤクザの出入りのせいで破談にされてたまるか」
「しょうもないこと言うてんと、とっとと駿府に帰り」
 そのとき、
「ごめんやで」
 暖簾(のれん)の左右が持ち上がったかと思うと、背の低い、肉付きのいい男が入ってきた。谷町の六郎七である。その背後には、子方たちが五、六人従っている。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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