よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻3

田中啓文Hirofumi Tanaka

 そんなやりとりのあいだに、豆太(まめた)をはじめとする鬼御前の子方たちが玄関に集まってきた。皆、長脇差を鞘のまま左手に持ち、いつでも抜けるようにしている。それに対して、六郎七の子方たちも腰の長脇差の柄に手をかけ、まさに一触即発の状況になった。どちらの親方かが一言、やってまえ、と言ったら血の雨が降る場面だ。両陣営とも、じりじりと間合いを詰めていく。
「どーもー」
 間の抜けた声が張り詰めた空気を搔き消した。
「あれ? お留守ですか?」
 入ってきたのは雀丸だ。
「ああ……雀(じゃく)さんかいな。びっくりしたわ」
 鬼御前はホッとしたように言った。
「お留守かと思いきや、ずいぶんとたくさんひとがいたんですね。お邪魔でしたら失礼しますけど……」
「かまへん。このひとら、もう帰りはるとこや」
 谷町の六郎七は目玉だけを動かして雀丸を見て、
「おい、こいつ、牛次やないやろな」
「このひとはな、ボーッとした顔をしてるけど、横町(よこまち)奉行を務めてる竹光屋雀丸というて、大坂では町奉行なんぞよりずっと偉いお方やで」
「こいつが横町奉行……」
 六郎七は雀丸の頭のてっぺんから足の先まで無遠慮に見やると、鬼御前に向き直り、
「牛次が来たらわしに知らせることやな。それがおまえが生き残るただひとつの道や。まごまごしとったら次郎長どんが来てしまうで。よう思案せえよ」
 そう言い残すと、六郎七は子方たちとともに出ていった。武田新之丞はため息をついて鬼御前に、
「それ見たことか。悶着(もんちゃく)に巻き込まれておるではないか」
「こういうのがあてらの日々の暮らしや。毎日こんなもんやで」
「二階の旅人は火種になる。見つかるまえに追い出したほうがよいぞ」
「ほっといて」
「わしは、どうあってもおまえの足を洗わせてみせるぞ。――また来る」
「来るな」
 鬼御前はその場に唾を吐く真似をした。新之丞は肩を怒らせて出ていった。雀丸は、
「今の、お兄さんでしたよね」
「そや。世話焼きで出しゃばりでおのれのことしか考えてへん頭のおかしい男や」
 隈取(くまど)りみたいな化粧をして、秋だというのに裾の短い浴衣(ゆかた)を着て、高下駄(たかげた)を履き、長脇差を差した女に言われたくはあるまい、と思ったが雀丸は黙っていた。
「難しい仕事の山場に差し掛かっているのですが、銀箔が底をついたので、この近くにある店に仕入れに行くついでに寄ったのです。――あのヤクザの親方みたいなひとは……?」
「谷町の六郎七ゆう鬱陶しいやつや。あてとこの縄張りを狙(ねろ)とるねん」
「ははあ……お祖母さまが、鬼御前さんが近所の一家と揉めているらしい、と言っていましたが、六郎七さんのことでしたか」
「ご隠居さまの耳にまで届いてるんかいな。かなわんなあ……」
「大尊和尚さんも、六郎七一家が下寺町の寺から軒並みにお金を取ろうとしていて困っていると言っておられました」
「ほんま、ダニみたいなやつや」
 鬼御前は、清水次郎長と谷町の六郎七との揉めごとについて手短に説明した。雀丸は驚いて、
「まさかにゃん竜の話が出るとは……」
「どういうこと?」
 今度は雀丸が鬼御前に説明する番だった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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