よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻3

田中啓文Hirofumi Tanaka

「ほほう……この刀、見覚えがありますね。このまえ奈津野先生のところで拝見した犬雲だ。ここに浮かんでいる犬の形が動かぬ証拠です」
「返せ!」
「返しません。どこで手に入れたのですか」
「その奈津野という御仁から買ったのだ」
「奈津野先生が家宝を手放すはずがありませんし、心当たりのあるもうひとりの方も代々の家宝ゆえ入手されたとしたら売ったりしないと思います。つまり、あなたは真っ当でないやり方でこれを手に入れたということですね」
「う、うるさい!」
 左源太は雀丸の手から犬雲を奪おうとしたが、雀丸は放さず、ふたりは揉み合いになった。そこにたねがむしゃぶりつき、
「あんた、逃げるよっ」
「わ、わかった!」
 左源太は犬雲をあきらめ、もともと自分が差していた刀を引っ摑んで、竹光屋からまろび出た。雀丸はあとを追う気もなくその場に座ったまま、手に持った犬雲を見つめたあと、だれに言うともなく言った。
「困ったなあ。犬雲とにゃん竜がうちでそろってしまった……」
 加似江はさすがに蒼白になったが、雀丸はどことなくうれしそうに二本の刀を並べて眺めている。そこへ入ってきたのは鴻池善右衛門だ。
「雀丸さん、もうできたそうやな。えらい早いやないか」
「わざわざ取りに来ていただかなくても、お持ちしましたのに」
「ははは……できたと聞いたらすぐに見とうなってな。どれどれ……」
 善右衛門はにゃん竜の竹光を抜き、刀身に浮かんだ猫の形を愛おしそうに賞玩した。
「ほほう……これは見事。たしかに猫や。えらいもんやなあ……」
「善右衛門さん、もし、次郎長さんが取り戻しにきたらどうしますか」
「そやなあ……。もとは次郎長いうひとのものや。盗まれたのやさかい、ほんまは返してあげるのが筋かもわからん。けど聞いてみると、次郎長さんかて三本松(さんぼんまつ)の松五郎(まつごろう)とかいう親方から腕ずくで取り上げたもんらしいやないか。わしは駿河の古道具屋に百両払うて購(あがの)うたのや。次郎長が正しい持ち主やと言うなら、わしもや、と言いたい」
「ということは……?」
「返すつもりはない、というこっちゃ。かわいい猫ちゃんが浮き出たこの刀、わしは鴻池の守り神にするつもりや」
 ややこしいことになった、と雀丸は思った。鴻池家と次郎長一家、六郎七一家の全面対決になったらたいへんである。それこそ町奉行所では扱えないような出入りになるだろう……。
「にゃん竜という響きがええやないか。わしはこのにゃん竜を生涯大事にするで」
 善右衛門がそう言ったとき、表から侍が飛び込んできた。
「聞いたぞ、にゃん竜もろうた!」
 侍はそう叫ぶと善右衛門の手から刀を引ったくり、身を翻すと、そのまま走り去った。あっという間の出来事だったので、雀丸も善右衛門もどうしようもなかった。ただ啞然(あぜん)として顔を見合わせるだけだった。
「今の侍……」
 雀丸が言いかけると加似江が、
「うむ。犬雲の竹光を作れと言うてきたやつじゃな。思うていたとおりじゃ。碌(ろく)なやつではなかったわい」
 雀丸は祖母をにらむと、
「わしほどになるとその人物の善し悪しなど目を見ればわかる、とおっしゃっておられましたが……」
 加似江はぷいと横を向いた。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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