よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka

「先生、どうしてここに……」
 外三郎の問いに無軒は厳しい顔で、
「結城、おまえの妻女が此度(こたび)のことを案じ、奈津野からの書状を持ってわしに相談に参ったのだ。五年まえ、わしが指南役を譲るにあたって、おまえたちが私(わたくし)の試合をし、敗れた奈津野が身を引いたことも、その試合でおまえとおまえの父親が卑怯な策を弄したことも妻女に聞いてはじめて知った」
「あの馬鹿が……」
「馬鹿だと? おまえにはなにもわかっておらぬな。――まあ、よい。試合をしなさい。わしが行事役を務める。よいな」
 ふたりはうなずいた。
「わしが、やめ、と言うたら刀を引け。勝ち負けはわしが申し渡す。いかなる結果になろうとも、双方遺恨を残すことは許さぬ」
 無軒は両名の顔を見ると、
「真剣での試合ゆえ、まずは刀を検(あらた)める。奈津野……」
 奈津野由右衛門は一礼すると、腰のものを抜き、
「奈津野家に代々伝わる犬雲(けんうん)でござる」
「うむ……」
 無軒は受け取ると刀身を検分し、
「まえにも見せてもろうたが、さすが稀代(きたい)の業(わざ)ものだ。――結城」
 外三郎はにやりと笑って刀を抜き、
「近頃入手したるにゃん竜でござる」
 由右衛門は「あっ」と声を上げたが、無軒も青ざめて、
「にゃん竜とな……? 見せてみよ」
 ひったくるように手にすると、切っ先から根もとまですばやく目を走らせ、
「たしかに猫の形が浮かんでおる。これがにゃん竜か……」
「犬雲にはにゃん竜……これで奈津野と身どもは刀の格においても互角かと存ずる」
「――ま、待て、この勝負預かりとする」
「今さらなにを仰せになられる。恩師といえどもその指図には従えませぬ」
「犬雲とにゃん竜が相まみえたときは凶事起こる、という言い伝えがある。なにが起こるかわからぬが、もし天変地異を招いたときは、世間の迷惑限りなし。刀を換えて、日を改めて立ち合いをいたせ」
「そのような迷信に惑わされる我らではない。そこをどいてくだされ。さもなくばまずは師から……」
「斬る、と申すか。この慮外者!」
 相手の犬雲は竹光(たけみつ)にすりかわっているが、おのれのにゃん竜は本ものと思い込み、自身の勝利を確信している外三郎は、無軒を突き飛ばした。無軒はよろけて楠の根もとに倒れ込んだ。それが合図だったかのように、外三郎は由右衛門に斬りつけた。そのひと太刀で、由右衛門の竹光は両断される、と彼は信じていた。由右衛門はかわすことなく間一髪抜き合わせ、外三郎の一撃を受け止めた。つぎの瞬間、二人とも呆然(ぼうぜん)とする出来事が起こった。ガキッ、という金属音が響くはずが、実際に聞こえた音は、
「ぱすっ」
 という間抜けなものだった。しかも、当たったところの銀箔(ぎんぱく)が剥がれてしまっている。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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