よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka


 夜が明けた。むしむしと暑いようなきりきりと寒いような……いずれにせよ秋の清々しさは微塵(みじん)もない日だった。ここしばらく大坂の町にうっすら漂っていたきな臭い空気が急に濃くなったようで、早起きのものは皆、息苦しいほどの緊迫感を感じていた。
 空にはまだ星が消え残っており、ほとんどの家は戸を閉ざしているそんななか、口縄(くちなわ)の鬼御前(おにごぜん)一家のまえには、谷町(たにまち)の六郎七(ろくろうしち)一家が助っ人も入れて三十人ばかり集まっていた。皆、素肌に濡(ぬ)れ紙を張ったうえに晒(さらし)を幾重にも巻いたりして、少々斬られても傷つかない工夫をしている。鉢巻きに鉄板や手裏剣を仕込んだり、刺股(さすまた)や鎖鎌を手にしたりしているものもいるが、そういうのはどれもこけおどしだ。彼らの後ろには、金で雇われたとおぼしき浪人風の男が眠そうに目をこすっている。
「おい……」
 先頭の六郎七が顎をしゃくると、子方(こかた)のひとりが乱暴に戸を叩いた。
「口縄の鬼御前、出てこい! 六郎七一家のお出ましや。出てこんかい!」
 しばらくしてくぐり戸が開き、豆太(まめた)が顔を出した。豆太は人数の多さに驚いたようだったが、
「朝っぱらからうるさいなあ。寝てられへんがな」
「鬼御前を出さんかい」
「姉(あね)さんになんの用じゃ」
 六郎七がその子方を押しのけるようにしてまえに出ると、
「昨日の晩に、旅人(たびにん)風の男がこの家に入るのを見た、ゆうもんがおるのや。もう言い逃れはでけへんで。家捜しさせてもらう」
「家捜しやと? どう見ても出入りの格好やないか。出入りやったらまずは喧嘩状(けんかじょう)持ってこい」
「やかましいわい! 家捜しして、次郎長(じろちょう)から刀を盗んだ旅人が見つかったら、それから喧嘩するのや。とっとと大戸開けい」
 豆太は、まだなにか言い返そうとしたが、喧嘩支度でこちらをにらむ男たちの迫力に押されて、
「ま、待っとれ。今、姉さんにきいてくる」
 そう言うと、一旦引っ込んだ。ややあって、鬼御前が現れた。
「遅いやないかい」
「急にお越しいただいても、女には身支度ゆうもんがおますのや。あんたらみたいな無粋なヤクザとひとくくりにせんとって」
 たしかに早朝にもかかわらず、鬼御前はいつもの化粧にいつもの着物である。
「ふん、呑気なことを言えるのも今のうちやで。おう、旅人がおることはわかっとんのじゃ。ここへ連れてこい。さもないと力ずくで家捜しすることになる。途中でなにかのはずみに火事になったとしても、それはわしらの知らんことや」
「しょうもない脅し方しかでけへんのかい。売られた喧嘩は買わなしゃあないけど、近所の迷惑になるさかい、ここであんまり揉めとうはない。どや、谷町の。茶臼山(ちゃうすやま)に場所を移して、おたがい支度万端整えたうえで喧嘩しようやないか。突然押しかけてきて、さあ喧嘩や、というのはあまりに仁義に外れたやり方やろ」
「わしが急に来たのは家捜しのためや。まえもって知らせたら、その渡世人を逃がしよるさかいな。さあ、なかに入れてもらおか」
「聞き分けのないやつやな。あんたらのその泥足、この家には一歩たりとも踏み込ませへんで」
 すると、六郎七の横にいた若い男が、
「こらあ、ここでガタガタしとる暇はないんや。次郎長一家がもうじき大坂に着くらしい。それまでに刀盗んだやつを見つけとかんと、うちの親方の面目が潰れるのや!」
 六郎七はその男を殴りつけ、
「じゃかあし! そんなことは言わんでええねん」
 鬼御前は苦笑して、
「次郎長が来るまえに少しでも点を稼ごう、ゆうことか。あかんあかん。そんな了見ではあてには勝てんわ。帰った帰った」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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