よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka

 六郎七は頭に血がのぼったらしく、
「なんやと、こら! もう許さんぞ。家捜しして旅人がおったらそいつ捕まえるだけで、あとのことは堪忍したろ、と思とったが、仏心もこれまでや。――おい、口縄の。女子(おなご)だてらに一丁前に一家張りやがって、えらそうにしくさるガキやとまえまえから思うとったのや。女子なら、谷町の親方さんに助けていただく見返りに、うちの縄張りもろとくなはれ、と差し出すのがあたりまえやろ。旅人の一件がええ潮時……今日という今日はおのれの一家潰してしもたる。縄張り寄越さんかい!」
 鬼御前は呆(あき)れて、
「わけのわからんこと言うて、どないしはったん? とうとう頭がおかしいなったんか。医者呼ぼか」
「うるさいわい。――おい、この女、いてもうたれ!」
 そのとき、くぐり戸からひとりの男がふらりと姿を見せた。縞柄の着物を着た旅人だ。
「あんた、病気はもうええんか」
「へえ、おかげさんでよくなっちまいやした。これも姉さんのおかげでござんす」
「そらええけど……あんたは二階に上がっとき。あんたのことはあてら一家が、死んでも守ったるさかい」
「へへ……それでは姉さんの恩義に報いることができやせん。ちいと通しておくんなせえ」
 まえに出た男は、六郎七を射殺すような目でにらみつけると、
「おう、そこのおひと。どこのどなたか存じませんが……この姉さんに手を出すなら、俺が相手になりますぜ」
 長脇差の柄(つか)に手をかけた。ぎょっとして後ずさりしかけた谷町の六郎七は子方たちの手前、ぐっとこらえて声を絞り出した。
「おまえのほうからのこのこ出てくるとはええ度胸や。刀はどないした」
「なんだと?」
「刀や。おまえ、大坂くんだりまで来たのは刀のことでやろ」
「ああ、そうさ」
「やっぱりや。――おまえのその刀、こっちへ寄越せ」
「どうして俺が刀をおめえに渡さなきゃならねえんだ」
「つべこべ抜かすな、三下(さんした)が! 寄越せゆうたら寄越さんかい!」
 しびれを切らした六郎七がそう叫ぶと、若い渡世人の目つきが険しくなった。
「俺を三下と抜かしたな」
 言うや、男は腰の刀を鞘走(さやばし)らせた。あまりにも素早かったので、だれの目にもとまらなかったが、刀はふたたび鞘に戻っていた。つぎの瞬間、六郎七の着物が胸もとから股座(またぐら)まで縦に切り裂かれ、左右にべろんとめくれた。居合いだ。
「ひやあっ!」
 六郎七は甲高い悲鳴を上げて着物のまえを手で押さえ、その声の高さが自分でも情けなく思えたらしく、照れ隠しのように低い声で、
「この野郎を叩っ斬れ!」
 そう叫ぶと、後ずさりして子方たちの後ろに回った。大戸が開けられ、鬼御前一家も手に手に得物(えもの)を持って勢ぞろいした。総勢は十人ほどである。人数では圧倒的に優勢な谷町一家だが、居合いを使う旅人が先頭に陣取っているので、皆、長脇差の切っ先を震わせて威嚇するだけで手を出そうとはしない。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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