よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka

「なにしとるんや! やれ、やってしまえ!」
 背後から六郎七が怒鳴るが、だれも動かない。旅人が馬鹿にしたように笑って、
「そろいもそろって腰抜けばかりかい。来ねえならこっちから行くぜ」
 白刃が一閃し、手前にいた男の髷(まげ)がすっ飛んで髪がざんばらになった。
「ひいーっ!」
 男は泣きながらしゃがみこんだ。六郎七が着物を搔(か)き合わせながら、
「先生、お願いします」
 無精髭で顔が埋もれた侍は迷惑そうに、
「拙者は居合いは苦手でな……」
「なに言うてますねん。払(はろ)うた分は働いてもらわんと……」
「うむ……仕方がないな」
「やっつけてもらえますのか」
「いや、金を返す」
 侍はその場に金を放り出すとそそくさと姿を消した。
「なんじゃ、あいつは!」
 六郎七は激怒し、子方たちの背中を強く押しながら、
「おまえら、やらんかい。人数ではこっちの勝ちに決まっとる」
「お、親方、押さんといとくなはれ。あの居合いが……」
「居合いがなんぼのもんや!」
 着物を押さえながらそう言っても説得力はない。呆れた鬼御前が、
「いつまでほたえとるねん。待ちくたびれたわ」
 長脇差を抜いて、六郎七の子方ふたりほどに軽い手傷を負わせた。それがきっかけとなり、やっと喧嘩がはじまった。数で勝るとはいえ、臆病風に吹かれた谷町一家は腰が引けている。鬼御前たちは谷町一家のなかに飛び込み、大暴れしはじめた。鬼御前は酒に酔ったときのような表情でだんびらのように大きな刀を縦横に振り回している。口もとに笑みが浮かんでいるのは、喧嘩を楽しんでいる証拠だ。血を浴びれば浴びるほど動きがいきいきしてくる。
 しかし、やはり多勢に無勢で、次第に鬼御前側が劣勢になっていった。
「今や、ひと思いに揉み潰せ!」
 一番後ろから六郎七が声をかぎりに叫んだとき、
「待ってくださあああい!」
 駆け込んできたのは雀丸だった。五郎蔵(ごろぞう)と又兵衛(またべえ)が担いだ駕籠(かご)と一緒だ。五郎蔵たちは重そうに駕籠をおろした。
「このなかに犬雲を盗んだ下手人がいます。そこの旅人さんは関わりありません!」
 雀丸がそう言っても六郎七は、
「やかましいわい! もう少しで喧嘩に勝つのや。ひっこんどれ!」
「そうはいきません。そもそも次郎長から刀を盗んだやつを匿(かくま)っている、というのが喧嘩のもとでしょう? こいつが下手人なら鬼御前さんはなにも悪くないことになります」
「そんなことはもうどうでもええのや。わしはこの生意気な女子を痛い目に遭わせたいだけや。――ええからやってまえ!」
 六郎七の叱咤(しった)に、子方たちがまえに出ようとしたとき、
「静まれ! 静まらぬか!」
 駆けつけたのは同心皐月親兵衛(さつきしんべえ)だった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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