よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka

「このひとが小原(おはら)左源太さん……にゃん竜を盗んだ下手人です」
 次郎長は左源太の顔を覗(のぞ)き込むと、
「こいつが左源太? 冗談言っちゃいけねえや。この野郎はうちに草鞋(わらじ)を脱いでた百川(ももかわ)の牛次(うしじ)って元役者の博打打ちよ。――おい、牛次、久しぶりだな」
 牛次は首をすくめると、
「清水の貸元もお元気そうで……」
 次郎長は苦笑して、
「なに言ってやんでえ。――刀ぁどうした」
「すいません。とうに売っちまいました」
 左源太こと百川の牛次によると、彼はもともと旅回りの一座にいた役者で、おもに侍の役を受け持っていたが、生来の博打好きが災いして身を持ち崩し、ついには渡世人の仲間入りをしたのだ、という。盃(さかずき)ごとをした親分・親方を持たない旅暮らしだったが、駿府(すんぷ)城下の色里である二丁町(にちょうまち)に出ていたたねという遊女と深間にはまり、夫婦(めおと)約束までかわす仲になった。なんとか請け出せないかと思案したが、いかんせん金がない。思い余った牛次は、たまたまそのとき草鞋を脱いでいた次郎長のところにあった刀を、悪いこととは知りながら勝手に持ち出し、叩き売って金に換えてしまった。そのあと刀がどうなったかは……。
「知らねえんです。――清水のお貸元、堪忍しておくんなせえ。こうなったら逃げも隠れもしねえ。この首、ばっさりやってもらいてえ」
 牛次はその場に胡坐(あぐら)をかくと、首を伸ばした。次郎長は長脇差の柄に手をかけた。牛次は目を閉じた。やがて、次郎長は息を吐くと、
「斬れねえもんだな、大政(おおまさ)」
 すぐ横にいた侍髷の大柄な男が、
「親分は立派になりなすったね」
 それだけ言った。次郎長は、
「こいつだけなら叩き斬ってもよかったが、その女が不憫(ふびん)だと思ってな。――おい、牛次」
「へ、へえ……」
「こいつあ餞別(せんべつ)だ。これを持って、その女とどこへでも行っちまいな」
 次郎長が手渡したのは小判で三十両ほどの大金だった。
「こ、こんなに……」
「かまわねえ。どこかに落ち着いたら堅気(かたぎ)になりな。その女を大事にするんだぜ」
 牛次とたねは涙を浮かべながらその場を立ち去った。
「いいんですか、あれは帰りのみんなの路銀ですが……一両ぐらいは残しておきなすったか」
 笑いながら大政が言うと、
「いや、丸ごと渡しちまったよ」
「仕方ない。なんとかしましょう」
 雀丸が進み出て、
「次郎長さんの刀、にゃん竜は、ひょんなことから鴻池善右衛門(こうのいけぜんえもん)さんが百両でお買い上げになり、今、鴻池家の蔵に納まっています。あれが次郎長さんのものなのか善右衛門さんのものなのかはともかくありかだけははっきりしています」
「そうかい。そいつぁありがてえ。場所さえわかればあとは話し合い次第だ」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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