よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka

 次郎長は六郎七に目を向けて、
「牛次の件は丸く収まったが、こっちの件は収まらねえ。――やい、六郎七。よくも以前の恩を忘れて、あることねえこと言い立てて、俺っちの顔に泥ぉ塗りやがったな」
「そそそれはなにもかも次郎長どんのためを思ってのこと……」
「たしかに廻状は送ったが、鬼御前さんの縄張りをわがものにしようなんてこたぁ頼んでねえ。人でなしめ。潔く一家を畳んで隠居するなら許してやらあ。それが嫌なら、ここでうちの一家と命のやりとり……けじめをつけるかね」
 目論見が外れた六郎七は顔の筋肉を痙攣(けいれん)させながら、鬼御前とその一家、次郎長とその一家、雀丸たち、そして、皐月同心を順に見渡していたが、急に自分の子方たちを振り返り、
「おい、おまえら、この連中はうちの一家をぶっ潰すつもりらしいで。わしらの絆の強さ、見せたろやないか!」
 子方のひとりが、
「あの……親方」
「なんじゃい」
「わし、盃返しますわ」
「なんやと」
「わても、悪いけど、盃お返しします」
「わしも」
「俺も」
「わても」
「すんまへん、親方、残るやつひとりもいてまへんで」
「な、なんや、おのれら、一人前にしてやったわしになんちゅうことを……こら、待て。待たんかい!」
 子方たちは皆、六郎七に返盃(へんぱい)を宣言すると、四方へ散っていった。
「おのれら、わしを見捨てるつもりか! 帰ってこい! 帰ってこい! 帰ってこおおおおい!」
 何人かの子方が走りながら振り向いて、「べかこ(あかんべえ)」をした。六郎七は地団太を踏んだがどうにもならぬ。次郎長や鬼御前にガンを飛ばすと、
「この借りはきっと返すからな」
 言い捨てて六郎七は着物の前を押さえたまま駆け出した。
 鬼御前が雀丸に小声で言った。
「ちょうどええとこで助かったけど……なんで来てくれたん? あてのことが心配やったん?」
「刀を盗んだのは左源太さんで、鬼御前さんのところにいる旅人さんは濡れ衣(ぎぬ)だとわかったので、疑いを晴らすために左源太さんを連れてこようとしたところだったんです」
「なんや。たまたまかいな」
 次郎長が雀丸に向かって、
「どうやらなにもかもおめえさんの骨折りのようだな。礼を言うぜ」
「そんな、とんでもない。――次郎長さん、これから清水に帰るんですか」
 鬼御前が、
「もしよかったら、しばらくうちに泊まっていきはったらどないです? いろいろお話もうかがいたいし……」
 次郎長も、
「それじゃあお言葉に甘えさせていただくか。――おい、みんな、こちらに厄介になるぜ」
「へい!」
 次郎長一家が声をそろえた。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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