よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka


 家に戻ってきた雀丸を待っていたのは、奈津野由右衛門だった。怒鳴られる覚悟をした雀丸に、二本の竹光をたずさえた奈津野は、今しがたの果たし合いのことを話し、
「雀丸さんの竹光のおかげでふたりとも怪我ひとつなく勝負を終えることができました。もし、拙者が真剣を持っていたら、結城に傷を負わせていたかもしれません。ふたりとも無事で、仲直りもできたのは雀丸さんのおかげです。――なぜどちらも竹光だったのかはわからないのですが……」
「奈津野さんの犬雲を竹光にすりかえたのは結城さんです。それと、結城さんは本物のにゃん竜だと勘違いして、うちから竹光を持ち出したのです」
「なるほど、いずれにしても結城が悪いのですね」
「それと……ここに犬雲があります。本物です」
「えっ? それも結城が……」
「いえ、これにはややこしい話がありまして……」
 雀丸も、左源太こと百川の牛次が犬雲を置いていったいきさつについて述べ、犬雲を手渡した。
「こうして家宝の刀がわが手に戻ったのは、雀丸さんのお働きです。深く感謝します」
「とととんでもない。私はなにもしていません」
「いえ、あなたがその牛次というひとに親切にしていたからこそ、その男は犬雲をあなたのところに持ち込んだのです」
 奈津野も二本の竹光を雀丸に渡し、
「犬雲の竹光は結城が作らせたもの、にゃん竜の竹光は鴻池さんが作らせたものですから、ここに置いていったほうがよいでしょう。うちにあると、うっかり本物と間違いますから」
 ふたりは笑い合った。また来ると言って、奈津野は帰っていった。雀丸がわざと怒らせたことも、すりかえるのを前提に竹光を作ったことも咎(とが)めることはなかった。奈津野の後ろ姿が見えなくなっても雀丸は頭を下げていた。そして、そこには竹光が二本、残されていた。

 翌日は朝から曇っていた。雲は重く水をはらみ、いつ降り出してもおかしくない空模様であった。そんななか、いつもはのほほんとしている竹光屋に、今日はただならぬ雰囲気が漂っていた。土間の壁際には次郎長一家が立ったまま並び、茣蓙(ござ)のうえに鬼御前、加似江(かにえ)、五郎蔵、又兵衛、皐月親兵衛、それに鴻池家の番頭弥曽次(やそじ)らが座っている。上がったところに次郎長と鴻池善右衛門が相対し、雀丸は行司役のようにすぐかたわらに控えている。鬼御前のところでの騒動について文を送ると、善右衛門はわざわざにゃん竜をたずさえて、一番番頭とともにやってきたのである。
「次郎長さんと言いなはるか。わしが鴻池善右衛門だす。よろしゅうお頼申します」
 善右衛門は先に頭を下げた。次郎長はあわてて、
「こいつぁ申し遅れました。あっしは清水の次郎長という半端ものでござんす。うちにあったにゃん竜てえ刀がこちらさまにあると、雀丸さんに聞きまして、恥もかえりみずやってきたてえわけで……以後、ご昵懇(じっこん)にお願(ねげ)えいたしやす」
「これがにゃん竜でおます。ここにおるうちの番頭どんが駿府の古道具屋で百両で買(こ)うたのやが、そのときはもちろん盗品とは知らなんだ」
「そりゃあわかってます。鴻池さんともあろうお方が盗まれたものと承知で買いなさるはずはねえ。ただ……もとはあっしの手もとにあったもの。なんとか返していただきてえんで」
「うーん、つらいなあ……。わしも気に入っとるのや。あの猫ちゃんが浮かんどるところがなんともいえん。――ほんまは意地でも渡さんつもりやったけど、あんたが将来の見込みのある、たいそうええ親方はんやということを、雀丸さんに聞いたもんでな、お返ししまっさ。犬雲とにゃん竜が両方とも大坂にある、というのもよろしからずや。けど……返してほしいならそれなりのものと引き換えてもらわんとな」
「百両てえことですかい」
「ははは……わしをだれやと思とる。百両ぐらいもろてもしゃあない」
「いくら払ったら返してくれるんです」
「悪いけど、たとえ千両積まれてもわしにとってははした金。そんなもんでは渡せんなあ」
 ふたりのあいだに険悪な空気が流れた。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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