よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka

「じゃあ、どうすりゃいいんでえ。命が欲しいってのか? ああ、くれてやろうじゃねえか。この次郎長、命が惜しいから刀をあきらめた、なんて言われたくねえからな」
「命もいりまへん。わしが欲しいのはにゃん竜に代わるなにかや」
「俺っちはただの貧乏ヤクザだ。そんなものは持ってねえ」
「ありますやろ。あんたの看板や」
「俺の……看板?」
「あんたは今でこそまだ子分、子方も十人ほどやが、これから東海道で売り出していくお方やそうな。今は看板も小そうて見えにくいやろうけどな、その看板、わしに元入れさせとくなはれ」
「どういうことでえ」
「ゆくゆくあんたが海道一の親方になって、子方が千人、二千人に増えれば、看板も大きくなる。どこからでも見えるようになる。そうなったとき、わしに利を返しとくなはるか」
「どうやって?」
「うちになにかあったとき、あんたを呼ぶわ。そのとき、わしを助けとくなはれ」
 次郎長は笑って、
「へっへっへっ……天下の鴻池の旦那が俺っちを買いかぶっていなさる。――大政、俺の子分が千人になるはずがねえよな」
「いや、親分、そうとは言えません」
 大政が真面目な顔で言った。
「日本一の分限者なら、これまで大勢のひとを見てこられたはず。そのお方がおっしゃるのだから、いずれそういう日が来ないともかぎらない。いや……俺たち子分は、そう信じたからこそ親分に付いてきているんです」
「俺が海道一の親分にねえ……まあ、望みは大きく持ったほうがいいからな。――ありがとうございます、鴻池の旦那。それじゃあ、ありもしねえものと引き換えに、このにゃん竜、いただいてめえりやす」
「ああ、そうしとくなはれ」
 雀丸が、
「それでは善右衛門さんにはこれを差し上げましょう。すいませんがそれで我慢してください」
 そう言って、二本の竹光を善右衛門に渡した。
「おお、これは……!」
 善右衛門は犬雲とにゃん竜の竹光を手に、踊り出しそうなほど大喜びした。
「我慢もなにも、こっちのほうが洒落(しゃれ)たあるやないか。いや、負け惜しみやないで。なにより、こっちは二本並べといても天変地異は起こらんやろ。本物の犬雲、にゃん竜が祟(たた)りを招くなら、こっちは福を呼ぶ。商売にはもってこいや。――うちの家宝にするわ」
 加似江が大きくうなずいて、
「これで犬雲もにゃん竜もその竹光も、無事に行き先が決まった。めでたいぞよ。――五郎蔵、又兵衛!」
「へえ、もう支度できとりまっせ!」
 ふたりは酒樽(さかだる)を土間に据え、裂いたスルメと焼き味噌を皆に配った。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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