よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka


 宴会は夜半まで続いてお開きになった。次郎長一家は泥酔したまま旅支度をして、清水に帰っていった。その足取りは後ろから見ていてもふらり、ふらりと起き上がり小法師のようだった。皐月親兵衛も、珍しく文句を言わず、飲むだけ飲んで帰っていった。鴻池善右衛門は弥曽次が駕籠を呼ぶというのを断って、徒歩で帰っていった。逆に又兵衛と五郎蔵は、意地汚くタダ酒を飲み過ぎて腰が抜け、駕籠を呼んでくれと喚(わめ)いていた。
 最後に竹光屋を出たのは鬼御前だった。だれよりも酔っている。「へべのれけれけ」というやつだ。顔の化粧もすっかり落ちてぐちゃぐちゃだし、帯もほどけかけ、浴衣(ゆかた)の胸もはだけ、晒が丸見えになっている。なにがうれしいのかへらへら笑いながら、右へ左へとよろめきながら歩き出した。
「そんなに酔っていて、ここから天王寺(てんのうじ)まで歩いて帰るのは無理です。今夜は泊まっていってください」
 雀丸がしきりに勧めたが、
「気分ええさかい大丈夫や」
「では、せめて途中まで送ります」
「あははははは……あてと道行きかいな。心中することになるでえ」
「そんな……縁起でもない」
「あてもうわばみの鬼御前と異名をとる女や。ちょっと酔うたぐらいで男にいちいち送ってもらわなあかんような、そんな酒飲みと違います。気ぃ遣わんとって」
「そうですか……?」
「だいじょぶ、だいじょぶ……あては素面(しらふ)や!」
 どう考えても大丈夫そうではないが、あまりにしつこく言うと怒りだすので、雀丸は鬼御前の言うとおりにした。
「気をつけて帰ってくださいよ。ああ、そんなに提灯を振り回したら火が消えますって」
「あはははは……はははは……はは……はははは……」
 一度笑い出すと止まらないようだ。雀丸は鬼御前の姿が見えなくなってから、家に入った。

 半刻ほどのちのことだ。雀丸は加似江とふたりで残りの酒をちびちび飲んでいた。酒宴の後片付けをしなければならないのだが、酔っているし、散らかりまくった惨状を見るとそんな元気は湧いてこない。片付けは明日に回して、残りを飲んでしまおう、ということになったのだ。
「お祖母さま、ひとつだけ気になっていることがあるのですが」
「なんじゃ」
「この家で、本物の犬雲とにゃん竜がほんの一時だけ出会ったでしょう? にゃん竜は善右衛門さんがすぐに持って帰ったわけですが、しばらくは同じ場所にあったわけです。――凶事は起こらないでしょうか」
「さあ……わしにきかれてもなんとも答えようがないわい。なにごともないよう祈るだけじゃな」
「ですね。それしかありませんよね……」
 そのとき、表の戸を叩く音がした。雀丸と加似江は顔を見合わせた。
「すいません、今日はもうおしまいです。また、明日お願いします」
 雀丸が家のなかからそう応えると、
「あてや。雀(じゃく)さん……鬼御前や」
「どうしたんです、忘れものですか」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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