よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十一話 犬雲・にゃん竜の巻4

田中啓文Hirofumi Tanaka

「あっ……ああ、ああ、ああ……いひーっ!」
 ポキッ、という音が鬼御前にははっきり聞こえた。六郎七の腕がだらりと下がり、匕首が落下した。
「わが妹に害を及ぼさんとするものは許すわけにはいかぬ。このうえなにかしようというならば斬って捨てる。さよう心得よ」
 六郎七はイタチのような素早さで逃げていった。
「兄さん……おおきに」
 鬼御前が言うと、
「礼を言われるほどのことではない」
「なんで、あいつがここであてを襲うてわかったん?」
「たまたま通りかかった……と言いたいが、おまえがあのものの一家を潰したと聞いて気になってな、市中で見かけたので後をつけたのだ。そうしたら案の定、竹光屋の表でおまえが出てくるのを待っておった」
 鬼御前はしばらく無言で下を向いていたが、
「兄さん、おおきに……」
「わしも、おまえのことを家の恥などと申したこと、すまなかったと思うておる。我らはたがいに道が違うのだ。相手の生き方を尊重すべきだった」
「あても兄さんのこと、大仏顔や言うて悪かったわ」
「わしにはおまえの稼業がどのようなものかわからぬが、刃傷(にんじょう)沙汰も多かろう。くれぐれも身体に気をつけよ。たまには手紙の一本も寄越すがよい」
「…………」
「おまえとわしは、ひとつの腹から生まれた兄妹だ。喧嘩もするが、兄妹であることは生涯変わらぬ」
 鬼御前はハッとして顔を上げたが、
「では、さらばだ」
 新之丞はすでに鬼御前に背を向け、歩き出していた……。
「そんなことがあったんですか。道理で着物が泥だらけです」
「ははは……」
 いつのまにか側に来ていた加似江が、
「おまえとその兄は、ひとつの鋼(はがね)から分かれた刀……犬雲とにゃん竜と同じじゃ。出会うといつも揉めごとを起こすが、引き離されるとたがいに引かれあって会わずにはおれぬ。そういうものじゃ」
 雀丸は、
「なるほど。もしかしたら犬雲とにゃん竜を一緒にしたときに起こる凶事というのも、ただの兄弟喧嘩みたいなものかもしれませんね。あまり気にしないほうがいいのかな……」
 自分に言い聞かせるようにそう言ったあと、湯呑みの酒をもう一杯呷ったが、そのとき雀丸は自分に降りかかってくる「凶事」のことをまるで知らなかったのである。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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