よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka



「あのときわしがことを起こした理由(わけ)をききたいと申すか。――よかろう。こうしていろいろ世話になったおぬしが頼みだ」
 細い目をした初老の男は流暢(りゅうちょう)にエゲレス語をあやつった。しゃべり方ははきはきとしており、波の音にもさえぎられることなくよく響いた。
「ただ、このことはわしとおぬしのあいだのことぞ。だれにも漏らしてはならぬ。わしの思いがおぬしの主(あるじ)に知れたら、わしは追い出されてしまう。いや……ただちに殺されてしまうかもしれぬわい。ふっふふふ……」
 聞き手はうなずいた。男は遠い目をして言った。
「わしは大坂を救いたかったのだ。ただその一心だった」
 中肉中背だが、胸板が厚く、背筋もまっすぐで、歳(とし)よりもかなり若く見える。しかし、顔つきは虎のように厳しく、その両眼からは猛禽(もうきん)類のような獰猛(どうもう)さも感じられた。
「飢饉(ききん)のせいで大勢が死んでいった。死体の数は増え続けた。飢えたものたちはなんでも食べた。川や池から魚がいなくなった。草や木の根はもちろん、虫やネズミも食らった。手当たり次第に口にするものだから、毒に当たって死ぬものもいた。病も流行(はや)った。このままでは大坂は終わってしまう……わしにはそう思えた」
 男は細い目をいっそう細めた。
「だが、飢饉であえいでいたのは大坂だけではない。京も江戸も……日本中が等しく凶作に見舞われていた。そんなときに東町奉行の跡部山城守(あとべやましろのかみ)は公儀の心証を良くしようと、新将軍家宣下(せんげ)の行事に使うために大坂の米をひそかに江戸に送っていた。おのれの出世と引き換えに、飢えた大坂の民を見捨てたのだ。しかも、利にさとい商人どもが米を買い占め、米の値はとてつもなく上がった。わしは町奉行に掛け合い、蔵米を町のものたちにただで与えるよう進言したが、取り上げられなかった」
 男は、今も静かな怒りに満ちているようだ。
「鴻池(こうのいけ)をはじめとする大商人(おおあきんど)たちにも直談判し、困っているものを助けるために金を貸してもらいたいと頼み込んだ。はじめのうち、鴻池は貸してくれそうなそぶりを見せていたが、結局断ってきた。あの男は商人としても人間としても許せるものではない。やむなくわしは蔵書五万冊を売り払って金を作り、窮民の救済に使ったが焼け石に水だったうえ、跡部はそのことすらただの人気取りだと非難し、江戸への廻米(かいまい)を続けた。大坂の民の困窮はここに極まった。わしの愛していた大坂が外道の地になってしまう。わしは、日々増えていく餓死者の遺骸を見て呆然(ぼうぜん)としておった。そんなときだった……わしの夢枕に太閤(たいこう)殿下がお立ちになられたのは……」
 男はうっすらと笑いながら、
「おぬしには太閤殿下と申してもなにものかわからぬであろう。徳川(とくがわ)家が天下を取るまえにこの国の王であった豊臣秀吉(とよとみひでよし)公……大坂という町を作ったお方のことだ。太閤殿下はわしに仰せになられた。大坂を救え、腐り果てた公儀の手から日本を取り戻せ、とな。そこで、わしは恐れ多くも太閤殿下に成り代わり、役人どもや金持ちどもを誅(ちゅう)し、大坂を守らんと兵を起こしたのだ」
 波の音が高まっていく。男は遠くを見やり、
「あのときの挙兵は失敗に終わったが、わしはあきらめなかった。陽明学(ようめいがく)というのは、知行合一(ちこうごういつ)、学んだ知識はかならず実行せねばならぬ。大坂を……いや、日本を取り戻すためにわしはもう一度挙兵する。太閤殿下の辞世に曰(いわ)く、『露と落ち露と消えにし我が身かな浪速(なにわ)のことも夢のまた夢』……殿下が愛された、そして、わしもこよなく愛したこの国を昔に戻すことこそ殿下とわしの夢なのだ。この世におらぬはずの、このわしのな……」
 男は拳を握り締め、
「まずは……金だ。ことを起こすには金がいる。わしがやろうとしているのはきれいごとではない。心に思うただけではなく、かならずこの世を覆してみせる。そのための軍資金を得るのだ。長年かの地にて働き、かなり貯(た)めはしたが、まだまだ足りぬ。あそこならば……東照権現家康(とうしょうごんげんいえやす)公の黄金と銀があるはずだ。あれを奪うことができさえすれば……」
 そのとき、目のまえの聞き手の困ったような顔つきに気づいた男は、
「はははは……なんのことかわからぬだろう。それでよい。それでよいのだ」
 男にはまだ打ち明けていないことがあった。とうていこの場で口にすることのできぬ計略だ。金を奪ったうえで、そして……それが叶(かな)えば、夢は夢でなくなるはずだ。
「十五年ぶりに戻る故郷……楽しみだわい」
 男は不敵な笑みを浮かべると腕を組み、
「さぞかし皆がわしの帰りを待ちわびているであろう、この中斎(ちゅうさい)の帰りをのう」
 砕け散る波濤(はとう)に負けぬ声でそう言った。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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