よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

 土間を上がったところにある短い廊下にずぼっと立った老婆は、相撲取りのように肥えている。柿色の頭巾をかぶり、柿色の小袖に柿色の内掛けを着ており、どこから見ても職人拵(ごしら)えの雀丸とは対照的に武家の隠居といった風である。
「なに? おまえが大事な仕事をしておるかつまらぬ仕事をしておるか、わしにわかるわけがないではないか。そのようなことを申すなら、大事な仕事をしておるときは、『大事』と書いた高札(こうさつ)を立てておけ」
 顔の大きな老婆はしゃがれた声で怒鳴った。顔も大きいが、顔の部品もすべて大きい。目も大きく、鼻も大きく、耳も口も大きい。なにに似ているかと言うと……蟹(かに)である。茹(ゆ)で上がったばかりの蟹そっくりなのだ。しかも、名前が加似江(かにえ)なのだから念が入っている。
「お祖母さま、またそのような無茶を……」
「無茶ではない。ものの道理を話しておるのじゃ。わしは、朝飯がちょびっとだったので腹が減ってしかたがない、昼飯はまだであろうか……と思うたゆえ、心のあるがまま、昼飯はまだか、とおまえにたずねた。ならば、おまえはそれを受けて、昼飯はまだです、あるいは、昼飯はもうすぐです、と答えねばならぬはず。それを、大事な仕事のときは話しかけるな、と返すのは道理に外れておるし、年長者への敬意も欠けておる。だいたいおまえは近頃……」
「はいはいわかりました。それでは昼ご膳にいたしましょう。今支度をいたします。すればよいのでしょう」
「やけくそのように言うな。飯炊きこそおまえのもっとも大事な仕事ではないか。早(はよ)ういたせ」
「お祖母さま、お忘れですか。私は飯炊きではありません。竹光屋です」
 加似江はじろりと雀丸をにらみつけ、
「そんなことはわかっておる。わしはひもじゅうて死にそうなのじゃ。とっとと飯を炊け」
 雀丸はため息をつき、
「お祖母さま、朝飯がちょびっとだったとおっしゃいますが、朝は味噌汁(みそしる)に大根の浅漬けで冷や飯を五杯も召し上がられました。おかげで私は一杯よりちょうだいしておりませんが」
「嫌味を申すな。五杯ならば、わしにしては少ないほうじゃ」
 先日、重い病に罹(かか)り、長崎まで治療のために旅をした加似江だったが、なんやかんやで回復して以来、飲み食いのほうは絶好調だった。放っておくと際限なく食べ、際限なく飲む。年齢のわりに、魚などの脂っこいものを好むし、甘いものも大好きときている。おかげで雀丸はふたたび金欠に陥った。
 薩摩(さつま)の島津(しまづ)家と大坂の商人神坂屋郷太夫(かんざかやごうだゆう)によって雀丸の竹光を工芸品として阿蘭陀(オランダ)に輸出することになったのだが、島津家は大大名のくせにこれまた金欠で、前金を払ってくれない。できあがったものを納品し、それが売れてからでないと代金をもらえない。それは当主の島津斉彬(なりあきら)が諸外国に対抗するために、西洋風の軍備を整えたり、蘭学者を集めたり、集成館(しゅうせいかん)という洋式工場で反射炉をはじめ、地雷、大砲、ガラス、写真機、アルコールなどを作ったり……といったことに湯水のごとく金を使っているからである。その分雀丸に皺(しわ)寄せがきているという、まことに困った殿さまなのだ。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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