よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

 だから、とにかく雀丸は必死に働かなければならないのだ。早朝から起き出し、夜は連日夜なべをしている。加似江にはそんなことは口が裂けても言えぬが、正直、三度の食事を調えている暇も惜しいのだ。じつは米屋と酒屋、それに醤油(しょうゆ)屋の払いがかなり滞っており、先(せん)の節季のときは拝み倒して延ばしてもらったのだ。
「ほんまにひと月待ったら払(はろ)てくれるんやろな」
「もちろんです。町人に二言はありません」
「わかった。そこまで言うなら、雀(じゃく)さんを信じて貸しとくわ。ひと月後には、まちがいのう頼むで。でないと旦さんにわてが叱られるのやさかい……」
「わかっております。どんなことがあってもかならず払います」
 そう言って三人とも帰ってもらった。あのときは、とにかくその場を乗り切れれば、ひと月のうちになにか良い思案が浮かぶだろう、と思っていたが、結局なんの思案も浮かばぬまま、気がついたら支払日は五日後に迫っていた。
(どうするどうする。えらいことになった……)
 雀丸は、横町(よこまち)奉行の仕事を休むことにした。竹光屋の入り口には今、「横町奉行は当面休業いたします。おのれのことはおのれで解決してください。あしからず。ただし竹光の注文は大歓迎」という貼り紙がしてある。
(ああ……世のなかはままならないもんだなあ……)
 雀丸は心のなかでぼやいた。
「横町奉行」というのは雀丸が就いている職務だが、一文の金にもならないのが特徴なので、この際、竹光の仕事が一段落するまで看板を下ろすことにしたのだ。
(大坂の町のひとたちには申し訳ないけど、背に腹は替えられないからなあ……)
 横町奉行は大坂だけに存在する特殊な役目である。大坂町奉行所の与力・同心は全部でたった百六十人しかいない。それだけで大坂全域と摂津(せっつ)、河内(かわち)、和泉(いずみ)、播磨(はりま)の四カ国における司法・行政・警察をまかなうのは無理である。なかでも「公事(くじ)ごと」つまり訴訟沙汰には時間がかかり、何年も待たされる。イラチな大坂人には耐えられない。
 そこで、大坂人が公事ごとの裁きをつけさせようと自分たちで設置したのが「横町奉行」だ。
「商売の道に明るいのはもちろん、諸学問にも造詣が深く、人情の機微によく通じ、利害に動じることのない徳望のある老人が、乞われてこの地位に就いた」と物の本にあるように、横町奉行の裁きは即断即決である。裁断が不服でも文句は言えない。それを承知でないと持ち込めないのだ。そして、代々の横町奉行の裁きには、訴えの当事者双方を納得させるだけの説得力があったという。
 そんな横町奉行に、雀丸のような若造が就任してしまったのだが、歳に似合わぬなかなかの名裁き振りだと好評で、浮世小路(うきよしょうじ)に住んでいるため「浮世奉行」と呼ぶものも増えているという……。
「雀丸、昼の菜はなんじゃな」
 雀丸の胸中も知らぬげに、加似江がたずねた。
「えーと……豆腐があったなあ。味噌汁にしましょうか、それとも冷奴(ひややっこ)?」
「代わり映えせんのう。まあ、なんでもよい。とにかく早う食いたい。とっとと支度せよ」
「お祖母さま、お腹になにか湧いてるんじゃないですか」
「やかましい!」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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