よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

 加似江は関心を持ったらしく、
「長崎ではなく、メリケンに渡って修業をしたと書いてあるぞよ。これは美味いかもしれぬぞ」
「でも、日本は国を閉ざしています。そんなことがたやすくできるものでしょうか」
「土佐(とさ)の万次郎(まんじろう)も、メリケンに渡って船乗りの修業をしたではないか」
「あれは、船が難破して仕方なく行ったのです。帰ってくるときも決死の覚悟だったはず……」
「まあ、どこで修業しようと美味ければよい。――もしかすると、メリケン人の料理人を雇うたのかもしれぬぞ。この絵を見よ。明らかに日本人ではない」
「それこそ無理でしょう。阿蘭陀人でも出島(でじま)から出られないのに……」
 すっかり乗り気になった加似江とともに雀丸は店の外に出た。地面でなにかをついばんでいた雀たちが一斉に飛び立った。このあたりは堂島(どうじま)の蔵屋敷が近いので雀が多いのである。
 アンメリ軒の場所はすぐにわかった。まえの「屯々」と同じ場所なのだ。というより、「屯々」の看板を「アンメリ軒」に掛け替え、柱と屋根に赤い色を塗っただけで、外観はなにも変わっていない。しかし、表にひとが行列しているではないか。しかも、ざっと数えて五十人ほどいる。これがみんな「屯々」の客なのだろうか……。
「これは無理ですね。我々の番が来るまでに日が暮れてしまいます」
「そうじゃな。惜しいが今日はあきらめよう」
 少しはごねるかと思っていた加似江も、空腹のせいかあっさりと引き下がった。
「せっかく来たので挨拶だけしておきます」
 雀丸は赤く染めた縄暖簾(なわのれん)のあいだから首を突っ込み、
「屯次郎さん、引き札を見てきたんですが、満員なのでまた今度参ります」
 広い額に赤い捻(ね)じり鉢巻をして赤い前掛けをした男が板場から振り返り、
「おお、雀さんかいな。すまんな。ごらんのとおりやさかい、今日は堪忍して。また、ゆっくり来てんか」
 そう言って汗を拭いた。
「ひとりで切り盛りされてるんですか。たいへんですね」
「そやねん。身体(からだ)が持たへんわ」
「商売繁盛、けっこうなことです」
 雀丸が店のなかを見回すと、床几(しょうぎ)の色も赤、入れ込みに置かれている屏風(びょうぶ)も赤、敷かれている板台も赤、皿などを載せた盆も赤……どうやら屯次郎は、なんでも赤くしておけばメリケン風になる、と考えているようだ。壁に貼られた品書きには、「パン」「ソウプ」「ソウセイジ」「カステイラン」など不思議な言葉ばかりが並んでいて、とても興味深い。客たちが食べている様子を見物しようとしたが、
「雀丸、行くぞ」
 空腹に耐え切れなくなったらしい加似江が急(せ)かすので、後ろ髪を引かれつつ、雀丸は店を出た。
「お待たせしました。どこへ入りましょう」
「うむ、久しぶりに『狸(たぬき)うどん』にでも行くか」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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