よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

 狸うどんは、店主が狸によく似た顔なのでそういう屋号になったらしいが、稲荷寿司(いなりずし)が名物で、「稲荷好むは狐(きつね)のはずぢやが主が狸とはこれ如何(いか)に。浮世小路の狸うどんで腹鼓」という看板が表にかかっている。暖簾をくぐると時分時(じぶんどき)なのでなかは一杯だった。むりやりふたり分の席を作ってもらい、加似江はしっぽくうどん大盛りと稲荷寿司二人前に冷や酒を二合、雀丸はすうどんを頼んだ。
(金のないときにえらい散財だけど……ま、いいか。なるようになる!)
 先のことを考えるのをやめた雀丸がよく出汁(だし)のきいた熱々のうどんを啜(すす)っていると、加似江が急に、
「そう言えば、おまえの父親(てておや)もすうどんが好物でな、うどん屋に入ると、わしがたまには天麩羅(てんぷら)うどんやおかめうどんを食えとすすめても、頑として言うことを聞かなんだ。親子というは好みが似るものだのう」
「へえ……そうでしたか」
 雀丸は、父親の藤堂鷹之助(とうどうたかのすけ)と外食をした記憶がない。代々、大坂城弓矢奉行付き与力という立派な役に就いていた家柄だが、鷹之助の代になって突然貧窮したらしい。それは母親の加似江が大食いで大酒飲みのせいだった……わけではないようだ。城勤めの身として、飢える大坂の民の難儀を見て見ぬふりできず、あちらこちらから金を借りてそれをすべて飢えた大坂の民にほどこしてしまったらしい。そんな具合だから、日頃から大塩平八郎(おおしおへいはちろう)にも共感していたようで、大塩が乱を起こしたときは、挙兵に加担したのではないかと疑われて、厳しい取り調べを受けたという。嫌疑が晴れたのちは、
「救民のためには町奉行や悪徳商人を倒すほかに道なし、という大塩中斎殿の強い思いはわかるが、大坂を火の海にしたことは許し難し」
 と周囲に語っていたそうだ。そんな父親だから、すうどんを格別好んでいたわけではなく、
(うどんに具を入れるのは贅沢〈ぜいたく〉だ)
 と考えていたのではないか、と雀丸は思った。
(これだけ贅沢が好きで金遣いの荒い母親からそういう人物が生まれるとは……まったく親の振り見てわが振り直せ、とはこのことだなあ……)
 しっぽくうどんの具をアテに二合の酒を飲んだあと、さらにもう二合追加し、稲荷寿司をアテに飲んでいるわが祖母を斜め見しながら雀丸はつくづくそう思った。
(父上が亡くなったあとはたいへんだったからなあ……)
 鷹之助が若くして死去したあと、大勢の借金取りがやってきた。鷹之助が存命のうちは大目に見てくれていたのだが、死んだとなると取りはぐれては困るとばかり容赦なく取り立てていく。父上は良いことをしたのにどうしてこんな目に遭うのですか、と加似江にたずねると、
「ひとを助けるための行いであっても、おのれの手にあまることをした報いが来たのじゃ」
 という返事が返ってきた。そのときは理解できなかった雀丸だが、今ならわかる。他人を救うためにおのれの金を投げ出すのはよいが、よそから金を借りての「善行」は無責任な行いになってしまう、ということだ。しかし、雀丸には父親がそうした気持ちもよくわかった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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