よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

「なにを考えておる。うどんがいらぬなら、わしが食うてやるぞ」
 加似江が箸を伸ばしてきたので、雀丸はあわてて残りのうどんを啜り、汁を飲んだ。
「うはははは……食うた食うた、飲んだ飲んだ」
「狸うどん」の表に出た加似江は満足そうにおのれの腹を撫(な)でた。結局、加似江は大盛りしっぽくうどん、稲荷寿司二人前に酒を七合も飲んだのだ。顔が赤くなり、よりいっそう蟹に似てきた。足もともふらついている。
「あーあー、大散財ですよ」
 今は節約にも節約を重ねなければならないはずなのに、とんでもないことになった、と雀丸は思ったが、後の祭りである。
「よいではないか。竹筒のなかのへそくりで払えばよい」
「ごごごごご存知だったのですか」
「あたりまえじゃ。あんなところに長いあいだ竹筒が放り出してあるのだ。妙に思わぬほうがおかしかろう。わざとらしゅう埃(ほこり)をまぶしたりしてある。振ってみると、まあ、たいした額ではないな」
「恐れ入りました」
「言うておくが雀丸、わしももとは武士の妻じゃ。多少のへそくり金(がね)はある」
 武士の妻とへそくりとなんの関係があるのかわからないが、雀丸はうなずいた。
「だが、それはおまえのように容易(たやす)う見つかるところにはないぞ。おまえが見事見つけ出せたなら、くれてやろう」
「ええっ!」
 雀丸は加似江の強欲さをよく知っている。だから、加似江がこんなことを言うのはよほど隠し場所に自信がある、ということなのだ。
「わかりました。探します」
「むほほほほ……探せるものなら探してみよ」
 ふたりが竹光屋に戻ってくると、男がひとり、紺の暖簾のまえに立っている。町人なので竹光の注文ではなさそうだ。男は雀丸を見ると駆け寄ってきて、
「横町奉行さんだすか」
「はい……そうですけど」
「わて、順慶町(じゅんけいまち)に住んどります矢伍作(やごさく)ゆう八百屋ですねんけど、隣の家に占い師がおりまして、そいつが毎晩酔っ払って帰ってきてはでかい声で歌歌(うと)うたり、壁を叩いたり蹴ったりしまんのや。八百屋商売、朝早(は)よおまっしゃろ。うるそうて寝てられしまへんねん。なんべん言いに行っても改めようとしまへん。昨日も大喧嘩(おおげんか)になって、わて、頭をさんざんどつかれましたんや。腹立ちまっせえ」
「ちょ、ちょっと矢伍作さん、なんの話ですか」
「なんの話て、決まってますがな。わてと占い師の揉(も)めごとを裁いてほしいんだす。横町奉行からあの占い師に、二度と酒飲んで騒ぐな、て申し渡してくれたら、さすがにあいつも言うことききよりますやろ」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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