よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

「いやー、すいません。今、これなんです」
 雀丸は入り口に貼られた「横町奉行は当面休業いたします。おのれのことはおのれで解決してください。あしからず」という貼り紙を指差した。八百屋は、
「そんな殺生な。わては毎晩寝不足だすのやで。商売にならんと困ってまんのやで。そういうもんを助けるのが横町奉行とちがいますのか」
「そらまあそうなんですが、うちにもいろいろと事情がありまして……」
「そんなことは知らん。大坂の町のもんを助けるのが横町奉行の仕事だすやろ」
「休業中なんで、それが終わったらまた再開させてもらいます。それまで待っててもらえませんか」
「アホなことを……わては今、今の今、今の今の今寝不足だすねん。そんなに待ってたら死んでしまいますがな。とにかくあの酔っ払いをなんとかしてもらわんと仕事にならんのや。今から順慶町まで来とくなはれ」
 矢伍作はそう言うと、雀丸の腕を摑(つか)んで引っ張った。
「無理ですってば。あなたの仕事も大事でしょうが、私もこれから仕事を……」
「あんたの仕事は酔っ払いをおとなしゅうすることや」
 そのとき加似江が浮世小路中に響くような大声で大喝した。
「やかましいわい!」
 矢伍作は両耳を押さえて、
「あんたがいちばんやかましいわ」
「なに抜かす。さっきから聞いておったら、酔っ払いをなんとかせえとか二度と酒飲んで騒ぐなとか言うておったが、酔っ払(ぱろ)うてなにが悪いんじゃ。酒を飲んだら気が大きゅうなって、楽しい気持ちになって、多少大声出したり、歌うたり、騒いだりするのはあたりまえのことじゃ。酔っ払い万歳じゃ」
 矢伍作は雀丸を見て、
「このおばあ、酔っ払っとるがな。おとなしゅうさせてんか」
「あはは……私には無理です」
 加似江はなおも続けた。
「その占い師が酔うておるなら、おまえも一緒になって酔っ払えばよい。そうすれば騒々しさも気になるまい。そのうちに寝てしまうじゃろう。どうじゃ!」
「どうじゃ、と言われたかて、わてはその……」
「わしがちゃんと裁いてやったであろうが。帰れ、帰れ!」
 加似江が拳を振り上げると、矢伍作はほうほうの体で逃げていった。
「ああいう手合いは困ったものじゃ」
「まことに。横町奉行はなんでも屋ではありませんから……」
 ふたりは店のなかに入り、加似江は、
「わしはしばらく昼寝する。起こすでないぞ」
 そう言うと奥に入っていった。しばらくすると大きないびきが聞こえてきた。
(たしかに眠れないときは酒が薬だな。お祖母さまの助言は案外当たっているかも……)
 雀丸はそんなことを思いながら仕事場の茣蓙(ござ)のうえから鉈を拾い上げた。竹割りの続きをしなければならない。
(無念無想……)
 雀丸は新しい竹のまえに立ち、目をつむった。息を止め、神経を集中する。
(やるぞ……!)
 カッと目を開け、鉈を振り下ろそうとしたとき、
「あんたが横町奉行か?」
 またしても雀丸の鉈は斜めになった。声のしたほうを見ると、褌(ふんどし)一丁の裸身に半纏を一枚ひっかけただけの男が立っていた。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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