よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

「はい……そうですけど……」
「わしな、棒手振(ぼてふ)りの魚屋しとる次郎吉(じろきち)ゆうもんや。すぐに来てくれ」
「え? え? 今からですか?」
「そや。ことは一刻を争うねん」
「でも、入り口に貼ってあったでしょう。しばらくのあいだ横町奉行はお休みなんです」
「アホかあっ! 横町奉行に休みなんぞない。わしらのために身を粉(こ)にして働くのが横町奉行やないかい」
「いや、そう言われても私にも仕事が……」
「ごちゃごちゃ抜かすな。わしとこの魚がここ何日か続けて盗まれとるんじゃ。その盗人(ぬすっと)を詮議して、捕まえてくれ」
「そういうのは町奉行所に願い出てください」
「なんやと、こら! 横町奉行のくせにわしの頼みがきけん、ちゅうんか。おのれ、ぐずぐず抜かしよったら、そのどたま、げんこで勝ち割るで!」
「乱暴だなあ。まあ、落ち着いてください。魚はどんな風に盗まれるんですか」
「わしがちょっと目ぇ離した隙に、サンマでもイワシでもぴゃっと持っていきよる。あっという間の早業でな、だれもその盗人を見たことがないのや。疾(はや)きこと風のごとし、ゆうやつやな」
「魚は、一度に何匹も盗まれるのですか」
「いや、一匹だけや。それが不思議なことに、高い棚のうえに上げといても、用心籠に入れて重石(おもし)載せといてものうなるのや」
「ははあ……」
「なにがははあや。はよう来てくれ」
「もしかしたら隣近所で猫を飼ってるうちがありませんか」
「猫やったら向かいの糊(のり)屋のおばんが三毛猫を飼(こ)うとる。なかなか可愛(かわい)いで。わしにもよう懐いとる」
「それでわかった。魚盗人は猫の仕業です。猫ならだれにも見られずに盗めますし、屋根のうえでも上れますし、用心籠の目から出入りできるでしょう」
「そうか、あのガキやったか! どうしてくれよう。帰ったらとっ捕まえてギタギタにしてこましたる!」
「いえ、それは良い思案ではありませんよ」
「なんでや。盗人猫やないか!」
「あなたも、なかなか可愛いし、よく懐いているとおっしゃっていたでしょう。それなら、一日に一匹イワシをあげるぐらい、かまわないじゃありませんか」
「そ、そらまあそうやけど……」
「その猫も、顔なじみの気安さからひょいとくわえて持っていってるだけで、盗んだとも思っていないんじゃないですか? あなたも飼い主のひとりだと思って、餌をあげてるつもりになればいいんです」
「そやなあ。ほな、そないするわ。さすが横町奉行、名裁きやったなあ。おおきに、さいなら」
 男は帰っていった。こうなったらいっそのこと戸締まりをしてしまおう、と雀丸が入り口まで行くと、男と入れ替わりにまたべつの男が入ってきた。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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