よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka


 その夜、鴻池善右衛門(ぜんえもん)は両替商仲間の寄り合いに顔を出したあと、堂島の料亭に場を変えてしたたか飲んだ。出席者は皆、両替屋の株を持っているものたちである。商売仇(がたき)ではあるが、長年の付き合いで気心も知れている。腹のうちを探りあったり、発言の裏を読んだりしあいながら飲むのもまた楽しいものなのだ。
 酒席の話題はもっぱら大名貸しのことだった。
「なんぼ天下の大名やいうたかて、勝手向きはぴいぴいしとる。何十万石の殿さんが毎日お粥(かい)さんに塩かけて啜っとるらしいで」
「わしらのほうがずっと贅沢しとるわなあ」
「そらそや。日本でいちばん美味いもん食うて美味い酒飲んでるのはわしらやろ」
 諸大名たちの財政は逼迫(ひっぱく)していた。参勤交代の費用や江戸屋敷などの維持費用だけでも莫大(ばくだい)なものなのに、公儀はそのうえに江戸城や寺院、橋の改修といった手伝い普請などを課した。それらを大名家はすべて領地で収穫される米や特産物だけでまかなわねばならないのだ。
 やむなく大名たちはその米を担保にして豪商から金を借りた。これが「大名貸し」である。借りても返す当てはないから、一旦返済すると同時に翌年の収穫を担保にまた金を借りる。その繰り返しである。もし凶作になれば、この仕組みが崩壊してしまう。だから、たとえ凶作になっても、大名家は農民から年貢米をむしりとり、大坂に送って金に換えるしかない。こうして飢饉が起きるのだ。
「鴻池はんなんか、合わせてどれぐらい貸してはりますのや」
「さあ……勘定したことないわ。番頭にきいてもわからんかもしれん」
 豪商たちはこの大名貸しによって膨大な利益を得た。なかでも鴻池家はその筆頭である。全国の大名家のうち、三分の一は鴻池家から金を借りているという。「鴻善ひとたび怒れば天下の諸侯色を失う」という言葉も公然と流布されている。鴻池善右衛門は「日本一の金満家」なのである。
「向こうはお大名やさかい、貸してくれ、て言われたら断りにくいけど、どう考えても払えんやろ、という相手に金貸すゆうのもなあ……」
「せめて利だけなと返してくれたらよろしいけど、それも滞るとこが多いわな」
「利を払うだけましだっせ。『お断り』食ろたらおしまいや。京の山田屋(やまだや)はんは、こないだそれで潰れはりましたがな」
 大名貸しは商人にとって良いことばかりではなかった。相手が大名であっても、貸し倒れの可能性があるのだ。元金はもとより、年々膨れ上がる利子をも払いきれなくなった大名家は老中に泣きついて、商人に借金を棒引きにさせた。これを「お断り」という。要するに借金の踏み倒しである。これを食らわされた商人は泣き寝入りするしかなく、身代限りになる店も多かったのである。
「ほんまにかなわんなあ……」
「この先、商人と共倒れになって潰れる大名も出てくるんやないやろか」
「そやなあ……後ろ盾になっとる徳川はんがあんな具合やさかい……」
「しっ。だれに聞かれてるやわかりまへんで」
「かまへんがな。ほんまのこっちゃ。だいたい今の世の中、わしらよりえらいもんはおらんのや。なに言うたかてええ」
「そやけど、徳川がぶっ潰れたらどないなります? わしらも商いでけんようになるんとちがうやろか」
「さすがに徳川が潰れることはおまへんやろ」
「わからんでえ。なにが起きるか、一寸先は闇や」
「あはははは。冗談(てんご)言いなはんな。――さあ、しょうもないことは忘れて、飲みまひょ」
「そやな。飲も飲も。飲まな損や」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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