よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

「善右衛門……刀より金を持つものが偉い、とたしかに申したな。そうではない、ということを教えてつかわそう」
 駕籠の垂れが上がり、なかからぬっくりと現れたのは、覆面をした、かなり身分の高そうな侍だった。浪人ではなく、主持ちのようだ。
(駕籠のなかでも覆面をしとるのか……)
 善右衛門がそう思ったとき、侍は左手に?んでいた刀を抜き払った。
「ひえーっ!」
「お助けーっ!」
 丁稚たちは提灯も折り詰めも放り出すと、主を見捨てて逃げていった。三太郎と平助は直立不動で成り行きを見守っている。善右衛門は度胸をすえると、
「お侍さま、金を払うさかい駕籠を譲ってくれ、と申し上げたのは失礼やったかもしれまへん。金を持ってるほうが偉いと言うたのも、言葉が過ぎたかもしれまへん。けどなあ……それぐらいのことで怒りにまかせて刀を抜くというのはやりすぎやおまへんか。たとえ町人でも、往来でひとひとり斬れば、あんたもただではすみまへんのやで。悪いことは申しまへん。やめときなはれ。ここに十両おます。これを差し上げますさかい、このまま帰りなはれ。あんたも、ここでたまたまわしに会わなんだら、なにごともなくお屋敷に帰れましたのや。今ならまにあいます。刀を収めとくなはれ」
 侍は、覆面のなかで低く笑い、
「たまたま、ではないのだ」
「――え?」
「わしはここでおまえを待っておったのだ」
「ど、どういうことでおます」
 三太郎が、
「ここここのお侍さんが夕方鶴松に来て、駕籠をみな押さえてしまいはったんだす。わてらふたりが旦さんに親しい、ゆうことを聞いて、わてらの駕籠に乗りはりましてな……」
 平助があとを引き取り、
「旦さんが今夜行く料理屋と本宅のあいだぐらいに駕籠を止めて待っとけ、て言わはって……」
 善右衛門は侍に向かって、
「ほな、最初(はな)からわしを斬るつもりだしたんか。うまうまとその計略に乗ってしもた、ゆうことだすな」
「そういうことだな」
 そのとき平助が侍の背中に体当たりを食らわし、
「旦さん、逃げとくなはれ!」
「こやつ……!」
 侍は平助に斬りつけた。平助がぎゃっと叫んだのを背中で聞きながら、善右衛門はやみくもに走り出した。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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