よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

(すまん、平助……)
 心のなかで謝りながら、必死に駆けていた善右衛門のまえに、二つの影が立ち塞がった。
「逃げられると思っていたのか」
 影のひとつがそう言うと、抜刀した。もうひとりも柄に手をかけた。そのとき雲が切れ、月光の滝が彼らに降り注いだ。ふたりとも覆面をした侍だった。
「あんたら……なにものや」
 応えはない。
「金が目当てか。金ならやる。なんぼでもやる。今はそれほど持ち合わせはないけど、店に行ったら千両箱が唸(うな)っとるさかい、勝手に持っていってくれ」
「ほざくな。なんでも金で片づけようとしてきた罰が当たったと思え」
 左の侍が斬りかかってきた。善右衛門はよたよたとそれを避けた。どうやら狙いは彼の命のようだ。間髪を容れず、もうひとりが刀を鞘走らせながら斬りつけてきた。居合いである。羽織の紐(ひも)と帯が縦に切り裂かれているのを見て、
(これでわしもおしまいか……)
 左の侍は刀を大上段に振りかぶり、
「死ねえっ!」
 と叫んだ。恐ろしい殺気とともに刀は善右衛門の肩から胸にかけてを袈裟懸(けさが)けに……したはずだった。しかし、善右衛門はなぜか後ろへ吹っ飛ばされただけだった。肩口が痛むが、それだけだ。
「な、なぜだ……」
 斬った侍は、なにが起きたのかわからずおのれの刀を見ている。しかし、すぐに気を取り直し、
「つぎは外さぬぞ」
 善右衛門が震えながら二撃目を待っていると、
「おいっ、そこでなにをしている!」
 背後から険しい声が飛んだ。覆面の侍たちはそちらを向いた。丸提灯を持って立っていたのは着流しに黒紋付の侍だった。顔は、夜目にもわかるかなりの馬面である。
「わしは東町奉行所定町廻(じょうまちまわ)り同心皐月親兵衛(しんべえ)である。貴様らはなにものだ!」
 その言葉を聞くや、三人は明らかに動揺した様子だった。顔を見合わせ、善右衛門と皐月親兵衛を交互にちら見していたが、皐月親兵衛が十手を抜くと後ろに下がった。
「くそっ……」
 彼らは刀を鞘に収めるとひとかたまりになって西の方角に逃げていった。皐月同心は三人が消えた闇をしばらく見透かしていたが、すぐに座り込んでいる善右衛門のところに戻り、提灯で顔を照らした。
「その方、鴻池の主ではないか」
「へえ、善右衛門でおます。――皐月さま、わしは大事(だいじ)おまへん。肩を刀で叩かれただけで、怪我(けが)はないんだす。わしよりも駕籠屋が……」
「なに?」
 少し離れたところに男がひとり横たわっている。もうひとりが泣きながら男を揺すぶっている。
「平助……平助……死なんといてくれ。ふたりで今までがんばってきたんやないか。おまえが死んだらわてはどないしたらええねん……」
 地面には血が流れているようだ。
「やめろ。手荒く揺り動かしてはよけいに血が出るぞ」
 皐月親兵衛はその男を脇へどかすと平助の左胸に手を当てた。やや弱々しいが、心の臓は動いている。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

Back number