よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

「おお、能勢先生、夜分にすまぬ」
 皐月同心が手招くと、三太郎は医者を地面に放り投げるように下ろし、
「さあ、先生、診とくなはれ。早よ診とくなはれ。すぐ診とくなはれ。わての相棒……どないだすやろか」
 能勢道隆は、
「やいやい言うな。今、診てやる」
 能勢道隆は真剣な顔つきになって平助の傷を検(あらた)めはじめた。その表情が険しいのを見て三太郎は、
「お、おい、藪(やぶ)医者。まさか助からん、とか抜かすのやないやろな。平助にもしものことがあってみい。ただではすまさんで」
「ぎゃんぎゃんとうるさいやつだな。――駕籠屋。相棒は死なずにすむぞ」
「えーっ、そうだすか! おおけに……おおけに! 同心の旦那が言うてはったとおりや。やっぱり先生は名医だすなあ」
「ほう、名医との評判が立っておったか」
「へえ、家はぼろぼろで、当人もみすぼらしいけど、腕はたしかや、と……」
 皐月親兵衛はあわてて、
「たわけ。それは内緒ごとだ」
 能勢道隆は笑って、
「三太郎、このおひとに感謝せねばならぬぞ。血止めが上手にできておればこそ、命が助かったのだ。さもなくば死んでいたかもしれぬ」
 三太郎は皐月親兵衛を三拝九拝しはじめた。能勢道隆は、
「これでよし。あとは滋養のあるものを食べさせて、傷口が治るのを待つのだ。――どこかで戸板を借りてこい。それに乗せて、わしのところまで運ぶのだ」
「それやったら先生、わてらがかいてた駕籠があそこにおますさかい、それに乗せたらどないだす?」
「それでもよいが……駕籠をかくにはふたりいるぞ」
「はははは……もちろん先生がかきまんのやがな」
 三太郎はそう言うと能勢道隆の背中を平手で叩いた。医者はしぶしぶ後棒を担(にな)い、
「夜中に起こされるわ、駕籠は担(かつ)がされるわ……えらい災難だ。ああ、重い! 肩がみしみし言うわい」
 ぼやきながら夜道を去っていった。見送った鴻池善右衛門が、
「ああ、平助が助かってよかった。皐月さまのおかげだす。このお礼はいずれたっぷりとさせていただきます」
「なに……? 礼が欲しゅうてやったことではないぞ。なれど……どうしてもと申すなら、多少はもろうてやってもよい」
「皐月さまは、今夜は夜番で見廻りだすか」
 皐月親兵衛はかぶりを振った。定町廻りがひとりで見廻りをするということはあまりない。長吏(ちょうり)、小頭(こがしら)、役木戸らが付き添い、ときには与力や盗賊吟味役なども加えた複数人で行動するのが普通である。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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