よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

「舟大工町(ふなだいくまち)に親類が住んでおってな、久々に訪ねての帰りだった。酒が出て、話がはずみ、ずいぶんと遅うなったが、それが幸いしたな」
「ほんまだすなあ。皐月さまがたまたま通りかからなんだら、今頃わしは三途(さんず)の川渡ってますわ。――ほな、わしはこれで……」
「あ、いや、善右衛門。夜道のひとり歩きは物騒千万だ。さきほどの連中が待ち受けておるやもしれぬ。わしが今橋まで送っていこう」
「えらいすんまへん」
 善右衛門はなんども頭を下げた。ふたりはしばらく無言のまま並んで歩いた。なんといっても武士と町人である。気楽に馬鹿話ができる間柄ではない。やがて、沈黙をこじ開けるように親兵衛が言った。
「おまえのところの……さきという娘は元気か」
「はい、元気というか、やんちゃで困ります。言葉もぞんざいで、皆さまにご迷惑をおかけしているとは思いますが、あれでなかなか利発なところもありまして……」
「はははは、天下の鴻池善右衛門も親馬鹿のひとりということだな」
「皐月さまのところの園(その)さまはご息災でいらっしゃいますか」
「うむ、エゲレス語を習(なろ)うたり、猫と遊び呆(ほう)けたり、それなりに楽しくやっておる様子だ」
 ふたりはまた黙り込んだ。善右衛門の持つ提灯の明かりがややか細くなってきた。
「皐月さま……雀丸さんのことをどう思われますか」
 善右衛門が唐突にそう言った。
「な、なに……?」
「わしはあの男を高う買うとりますのや。もちろんさきの婿にしたいとも思とりますけど、たとえそうならなんだとしても、あの男をええと思う気持ちは変わりまへん。――皐月さまもそうとちがいますか」
 皐月親兵衛は立ち止まって、
「うーむ……そうかもしれぬな。はじめて会うたときは鼻持ちならぬやつ、と思うたが……これからの武士はますます肩身が狭(せも)うなっていくだろう。園には入り婿をもらい、そのものに町奉行所同心というわしの勤めを引き継いでもらうつもりであったが、園は町人に嫁いだほうがよいのではないか、いや、園にかぎらず、武家の娘は皆そうしたほうが幸せになるのではないか、とわしは思うておる」
「けど、今後は町人かてわかりまへんで。今のままやったら侍と町人は共倒れになりますわ。その先にどんな前途がこの国を待っとるのかと思うと、さきは商人やのうて職人と一緒になったほうがええんやないか、と思うたりしとります」
「そうだな。なんと申しても、手に職があるのは強い……」
 皐月がそう言いかけたとき、大勢のものがこちらに走ってくる足音が近づいてきた。提灯もたくさんあり、周辺はにわかに昼のような明るさになった。先頭に立っているのは、鴻池の一番番頭弥曽次(やそじ)である。鉢巻をして、手にはまさかりを持っている。後ろには何十人もの奉公人が付き従っており、手に手に棒切れや包丁、鍬(くわ)、脇差(わきざし)などを摑んでいる。由吉と忠吉も一緒だ。ふたりとも泣きじゃくったらしく、目が真っ赤に腫れている。
「だ、だ、だ、旦さん! 旦さんが生きてはった!」
 弥曽次は善右衛門に抱きついた。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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