よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻

田中啓文Hirofumi Tanaka

「こ、これ、弥曽次、なにをするのや。まさかりが……危ないやないか」
 弥曽次はひとまえもはばからずおんおん泣き出し、
「ようまあご無事で……旦さんの帰りが遅い、とお店一同案じとりましたのやが、店の外で泣き声がするので表に出てみたら、こいつらが立っとりますのや。泣いてばっかりでなんにも言わんのをなだめたりすかしたりしてようよう聞き出したら、なんと侍に旦さんが斬られたちゅうやおまへんか。そのまま旦さんを残して店に戻ってきたものの、なかに入れんとずっと立ってたらしいんだすわ。わて、もうびーっくりして……ありったけの提灯と道具をかき集めて押し出してきましたのや。てっきりわては旦さんの弔い合戦をせなあかんと思て、そこであっぱれ討ち死に……」
「なにを言うとんのや。わしは、この皐月さまのおかげで九死に一生を得たのや。その代わり、駕籠屋の平助が侍に斬られてしもたけど、それも能勢道隆先生に助けていただいた。平助にはできるだけのことをしてやっとくれ」
「かしこまりました。――これ、由吉に忠吉!」
 弥曽次はふたりの丁稚をむりやり善右衛門のまえに押し出すと、
「貴様ら、大恩ある旦さんを見捨てて逃げ帰るやなんて、そんな薄情な真似(まね)がようでけたな! 旦さんがご無事やったさかいよかったけど、もし万一旦さんがどないかなってたら、貴様ら主殺しで磔(はりつけ)やで!」
 丁稚たちはふたたび泣き出した。
「旦さん、すんまへん。堪忍しとくなはれ」
「怖(こわ)あて怖あて……気ぃついたら足が勝手に動いてましたんや」
「どんなお仕置きでも受けますさかい、磔は許しとくなはれ」
「お願いします」
 善右衛門は笑って、
「弥曽次、あんまりおどかしてやるな。まだ年端のいかんこどもやないか。侍が刀抜いたら、そら怖かろう。無理もないことや」
「せやけど旦さん、ほかのもんに示しがつきまへん」
「かまへん。今回だけは許したり」
 弥曽次はふたりに向き直り、
「旦さんのお許しが出た。今度ばかりは許したる。つぎからこんなことあったら、店から追い出すで!」
「へい!」
 元気よく応えた丁稚たちの頭を撫でると、善右衛門はふと思い出したように、
「弥曽次、このことお奉行所には届けたのやろうな」
「へ……? なんでおます?」
「夜中に侍が三人がかりで斬り取(ど)り強盗や。届け出るのがあたりまえやろ」
「うわー、うっかりしとりました。旦さんの仇討(あだう)ちすることで頭がいっぱいで……」
「アホ。おまえが一番抜けとるやないか」
「すんまへん。今回だけは許しとくなはれ」
 皐月親兵衛は、
「まあよい。今月の月番はうちだ。わしが帰りがけに東の番所に寄って、泊まり番のだれかに報(しら)せておこう。――これだけの頭数が揃(そろ)ったのだ。もう、わしは付き添わんでもよいな」
 善右衛門は頭を深々と下げ、
「へえ、けっこうだす。いろいろと厄介をおかけしてすんまへんでした」
 皐月親兵衛はその足で東町奉行所に向かった。だが、そのときまだ親兵衛は、これがどれほど根の深い大事件に発展するかわかっていなかった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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