よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka



 蟇蛙(ひきがえる)に似た男が口を「へ」の字にして「ぐぐぐぐ……」と唸(うな)っている。口がやたら大きくて、唇が薄く、まん丸い目と目のあいだが離れていて、鼻は鼻梁(びりょう)というものがなく、穴がふたつ開いているだけだ。でっぷりと肥えており、顎の肉が垂れ下がっているのも蟇蛙を連想させる。着物にはやたらと金がかかっていて、おそらく羽織の紐(ひも)だけでもとんでもない金額だろう。太い腕を組み合わせ、天井をじっと見つめてもう四半刻(しはんとき)にもなる。
「どうも解(げ)せん……」
 地雷屋蟇五郎(じらいやひきごろう)は大坂でも指折りの廻船(かいせん)問屋である。おのれ一代で財を築き、大きな千石船(せんごくぶね)を何艘(そう)も所有している。鴻池(こうのいけ)や住友(すみとも)には及ばぬがたいへんな大店(おおだな)で、「蔵という蔵に金があふれている」という評判である。それだけ儲(もう)けているので多くの大名から、
「金を貸してほしい」
 という要求が引きも切らぬが、蟇五郎は頑として大名貸しをしようとはしない。同業者たちは皆やっているし、楽に儲けられるのに、と勧めるものも多いが、それが蟇五郎の信条らしい。
「法に触れぬかぎりどんな汚いやり方で儲けてもよい。ただ、大名相手の金貸しはせぬ」
 蟇五郎は常々そう主張していた。大名家の家老などが、
「貴様らが金を儲けてぬくぬくと贅沢三昧(ぜいたくざんまい)ができるのも、われら武士が国を守り、町の治安を守っておるおかげじゃ。儲けた分を武士に回さぬというのは罪ではないか。おとなしく貸し付けたほうが身のためじゃぞ」
 と脅しのようなことを言ってきても、
「アホか」
 の一言で無視するし、大名家から泣きつかれた公儀が運上金、冥加金、御用金などの名目で金銭を強制的に召し上げようとしてきても、
「そうだっか」
 と粛々と金を払うだけで、「貸し付け」はしようとしない。そういう頑固さが災いしてか近頃は、
「町人の分際で地雷屋の態度はもってのほかである。地雷屋に仕事を頼むな」
 と言う大名も多数おり、
「公儀に逆らうけしからぬ商人」
 として大坂城代や町奉行所の評判もよろしくない。そんなこんなで地雷屋の売り上げは近頃かなり減ってきている。売り上げが上がらねば、大勢の奉公人や船頭たちに給金も払えぬ。また、船の維持費にも莫大(ばくだい)な費用がかかるのだ。困ったことになった……と思っていたときに、まさに「渡りに船」の注文が来た。長浜町(ながはまちょう)の瀬戸物屋美松屋信兵衛(みまつやしんべえ)から大量の瀬戸物を駿府(すんぷ)に運んでほしい、と依頼されたのだ。美松屋といえば京大坂の瀬戸物問屋のなかでも三本の指に入るほどの大店である。それゆえ今回運ぶ瀬戸物の数も半端ではなく、千石船一艘では足りず、五艘の船を使わねばならぬほどだ。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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