よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka

「だれにも知られんようにこっそり金出したのや」
「なんでこっそりやりますのや」
 蟇五郎はにたーりと笑って、
「そら、わしの人(にん)に合わんさかいや」
「そうだしたか。わてはてっきり、米の買い占めに走ってはると思てました」
「ぐふふふふ……ちら、とそういうことを思わんでもなかったが、飢えて死んだもんが町の角々に積み重なっとるのを見てたら、さすがにそれはできなんだわい」
 蟇五郎は金にうるさく、金に汚く、金にがめつく、金に欲(よく)どしいだけでなく、横町(よこまち)奉行に協力する通称「三すくみ」のひとりとしてその手足となって動く……という側面もあった。先代の横町奉行松本屋甲右衛門(まつもとやこうえもん)のときからの縁がいまだに続いているのだが、そのことはあまりおおっぴらには言い立てていない。これも「人(にん)に合わない」からである。
「けど、大きな声では言えまへんけど、あのとき鴻池はんは米を買い占めて値を吊(つ)り上げたり、大塩が困ってはるひとらにめぐむための金を貸してくれ、て言うたのを断ったりしたそうだすなあ」
 地雷屋蟇五郎は真顔になり、
「いや……それは違うで。鴻池はんは米の買い占めには関わっとらなんだ。それに、大塩が貧民救済のためにおのれと門人の分の禄(ろく)を抵当(かた)に金を貸してくれ、と言うてきたさかい、できるかぎりのことをしようと金を支度してたら、東町奉行の跡部さまが『金を貸すことまかりならぬ』と言うてきはったのや」
「なんででおます」
「公儀が救済でけん難儀を、私塾の塾長やら町人やらが救うた……というのが我慢ならんかったのやろな。町奉行としてのおのれの失態にもなる。しゃあなしに鴻池はんは金を出すのをあきらめなはった。それをいまだに逆恨みして、鴻池は飢饉のときに米を買い占めた、とか、大塩が金を貸してほしいと言うてきたのを無碍(むげ)に断った、とか言うとる連中は多いのや」
「そうだしたんか。わてもずっとそう思とりました」
「大塩もそう思うとったやろな。とにかくあの戦(いくさ)は、ええ悪いはともかくも、いろんなひとの人生を狂わせたなあ……」
 蟇五郎はそう言った。

「鴻池善右衛門(ぜんえもん)が斬られた? それはおおごとではないか」
 泊まり番の与力(よりき)渋山李左衛門(しぶやまりざえもん)は読んでいた本をかたわらに置いた。
「知り合いの医者に手当てをさせましたが、善右衛門は肩を強く打っただけで怪我(けが)はございません。ただ、駕籠(かご)かきがひとり、斬られて大怪我をいたしましたがこれも一命はとりとめました」
「やったものはわかっておるのか」
「覆面をした武士が三名でした。着ているものからみて、浪人ではないように思えました」
「天下の鴻池を狙うとは大胆不敵なやつらだな」
「善右衛門が贔屓(ひいき)にしている鶴松(つるまつ)という駕籠屋の駕籠をみな買い切り、網を張っていたものと思われます」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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