よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka

「抜かしたな」
 格さんはふところから印籠を取り出し、皆に示した。そこには寺紋が刻まれていた。
「ええい、控え! このお方をどなたと心得る。恐れ多くも臨済(りんざい)宗雷覚寺(らいかくじ)派大本山雷覚寺住職にして宮中より紫衣(しえ)を授かった良苔(りょうたい)大和尚にあらせられるぞ」
 肥えた僧はぐいと胸を反らした。しかし、痩せた坊主は鼻で笑い、
「臨済宗ならばわしと同じ宗派じゃな。なれど、雷覚寺と申さば名刹(めいさつ)として名高いが、そこの住職がこのような生臭坊主のわけがない。おおかた偽者であろう。名僧の名を騙(かた)れば祇園で女子(おなご)にもてる、とでも思うたか!」
 僧はてかてかした顔を真っ赤にして、
「な、なんだと? わしはまことの良苔だ! 貴様はどこの寺の坊主か申せ」
「わしか。わしは、大坂下寺町(したでらまち)の要久寺(ようきゅうじ)住職大尊(だいそん)と申す」
 大尊は、寺ばかりがずらりと並ぶ下寺町のなかでも有数のおんぼろ寺の住持である。本堂は斜めにかしぎ、屋根瓦はほとんど割れて雨漏りがひどく、廊下には穴が開き、壁土は落ち、天井には蜘蛛(くも)の巣が一面に張っている。大酒飲みで肴(さかな)にはマグロの刺身が好物、と嘯(うそぶ)く破戒僧である。金が入るとすべてを酒代に費やしているので、赤貧洗うがごときありさまだが、当人は、
「座禅は酔うに如(し)かず」
 と嘯いている。門前には「葷酒(くんしゅ)山門に入(い)るを許す。なんぼでも許す」という石柱が建っている。からくり仕掛けを作るのが好きで、これまでに数々のわけのわからないからくりを拵(こしら)えては潰している。そして、大尊和尚も横町奉行を補佐する「三すくみ」のひとりなのである。
「ははっ、聞いたこともない寺だわ。どうせ吹けば飛ぶような末寺であろう」
「黙らっしゃい、この騙り坊主めが! わしは末寺の和尚かも知れぬが、まことの禅坊主じゃ。おのれの化けの皮をわしが剥いでやる。――問答をしようではないか」
「問答? なにゆえこの良苔が貴様ごとき愚貧僧と問答せねばならぬのだ」
「禅門に属するもの、問答を挑まれたら受けて立つのが法じゃ。拒むなら、それこそ騙り坊主として世間に喧伝(けんでん)してやるがどうじゃ」
 格さんが良苔という僧に、
「大和尚、ここは私にお任せを……」
 そう言って進み出ると、
「身の程知らずのジジイよな。そのへらず口が命取りだ」
 そして、拳を固め、大尊に殴りかかった。大尊和尚はひらりと身をかわし、杖(つえ)で格さんの鳩尾(みぞおち)をずんと突いた。
「はむっ……!」
 格さんは白目を剥(む)いて伸びてしまった。
「こやつ、味をやる!」
 助さんは船底に置いていた道中差を手に取ると、白刃を抜いた。客たちは悲鳴を上げ、船頭は船を漕(こ)ぐのを止(や)めた。助さんは刀を振り上げたが、大尊和尚は動じることなく杖を槍(やり)のように構えて微動だにしない。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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