よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka

「死ねっ!」
 助さんが斬りつけようとしたとき、大尊和尚の杖の先端から赤い水が噴き出して、助さんの顔面にかかった。大尊はからくり仕掛けを工夫するのが得意なのである。
「ぎゃあああっ」
 助さんは刀を取り落とし、両手で顔を覆い、目をこすった。
「唐辛子入りの水じゃ。こすればこするほど痛くなるぞ。そういうときは川の水で目を洗うがよい」
 大尊和尚はそう言うと、杖で助さんの額を思い切りかっ飛ばした。額に大きなたんこぶができた助さんは身体を大きく反らして川に落ちた。大尊和尚は良苔に向き直ると、
「さて、と……邪魔者がいなくなったところで、そろそろ問答をはじめようかのう。それともおまえも川で泳ぎたいか?」
 良苔は身体を小刻みに震わせながら大尊をにらみつけ、
「わ、わかった。問答しよう」
 ふたりは相対して座った。船頭も客たちもどうなることかと固唾(かたず)を呑(の)んで成り行きを見守っている。大尊和尚が腹から搾り出すような大声(たいせい)で、
「作麼生(そもさん)!」
 良苔は太った身体をちぢこめるようにして、弱々しい声で応じた。
「説破(せっぱ)……」
「仏門にあるものが守るべき戒律に不飲酒(ふおんじゅ)戒あり。なれど、おぬしもわしも酒を飲んでおる。酒は美味(うま)く、酔うたら極楽に上る気分になる。戒律を犯したるわれらは死んだら地獄に堕(お)ちるや否や。この儀いかに!」
「うーむ……」
 良苔は苦渋に満ちた顔つきで唸っている。
「この儀いかに!」
 大尊がふたたび叫ぶと良苔は、
「地獄には堕ちぬ。われら僧侶は俗人と違(ちご)うて修行を積んでおるゆえ、死んだら極楽浄土に上がれるはずだ」
「たわけが!」
 大尊の大喝は、良苔だけでなく乗り合いの連中をも吹き飛ばすような勢いであった。
「びっくりしたわ……」
「心の臓が止まるかと思た」
 皆は口々に言い合っている。良苔は泣きべそをかいている。大尊が、
「負けを認めるか」
「うううう……」
「それともまだ問答を続けるか」
「うううう……」
「ううう、ではわからぬ。作麼生!」
「わ、わかった。もう問答は堪忍してくれ」
「おまえの負けということじゃな」
「そ、そうだ」
「ならば唐傘(からかさ)一本持って寺から出ていってもらおうか」
「それは嫌だ。わしは先代住職の息子で、宮中から紫衣をちょうだい……」
「まだ言うか! もし、あくまでまことの雷覚寺住職だと言い張るならば、唐傘一本持って寺を出よ。じゃが、おまえが偽者だったと騙りを認めるならば、問答に負けるも道理ゆえ今日だけは許してつかわそう。どうじゃ」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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