よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka

 肥えた僧は垂れた頰肉を揺らしながら上目遣いに大尊和尚を見ていたが、
「そ、そ、そうじゃ。わしは良苔ではない。良苔を称しておっただけの騙り法師じゃ。ゆ、ゆ、ゆ、許してくだされ。高僧を名乗ると道中の宿場立て場の取り持ちが良く、なんじゃかんじゃと得することがあるゆえ、ずうずうしくも偽りを申したのじゃ。面目次第もない」
 そう言って頭を下げた。それを聞いた船頭や客たちは、
「なんじゃい、あいつ偽者やったんか」
「道理で、威厳のかけらもないわ」
「偉い坊主のふりをしてたら、旅の行く先々でただ飯、ただ酒にありつけると思うたのや」
「さんざんわてらをコケにしてからに……太いやっちゃ。畳んでしまおか」
「おう、どついてこませ」
「川に投げ込んで、サメの餌にしたれ」
「川にサメはおらんやろ」
 一同は衣の袖で顔を隠して震えている良苔に近づいていった。先頭にいた船頭が良苔のまえに進み出て、その両脇に手を差し入れ、持ち上げようとした。彼はさっき、助さんに殴りつけられた年嵩の船頭であった。顔面はまだ紫色に腫れている。
「わしがおのれを大川のウナギの餌にしたる。覚悟せえ」
「うへえ、堪忍してくれえっ。わしは泳げぬのだ!」
 大尊和尚が、
「まあ、待て。こやつは糞みたいなまやかし坊主じゃが、川に突き落とせばおまえさんがひと殺しの罪に問われる。こやつのごとき塵芥(ちりあくた)のために手を汚すのは考えものじゃ」
 良苔が、
「そそそそそそうだ。手を汚すでない!」
「それゆえここは唐辛子水で勘弁してやれ」
 良苔は茹で蛸のような赤さから一転、真っ青になった。杖を受け取った船頭は大尊に頭を下げ、
「へえ、坊さんのおかげで、こんなしょうもないガキのためにひと殺しにならんですみました。――おい騙り坊主……食らいやがれ!」
 船頭は杖の持ち手についた仕掛けを押した。赤い水はあやまたず良苔の顔に命中した。
「ぐわあああ! 痛たたたたたた……」
 良苔は船縁から身体を乗り出し、川の水で何度も目を洗った。皆は大笑いして、
「ざまあみさらせ、カス坊主!」
 船頭たちは船を岸につけると、良苔に言った。
「さあ、降りい」
「なんだと? わしらは船宿に船銭を払(はろ)うたぞ。大坂八軒家(はちけんや)まで送り届けろ」
「だれがおまえらを乗せてくかい。お奉行所に突き出さんだけありがたいと思え」
「わしらは急ぐ身だ。どうしても降りぬぞ」
「降りんのなら降ろすまでや」
 年嵩の船頭は良苔の帯を摑むと、相撲の上手出し投げのように大きく投げを打った。良苔はよろめきながら岸に倒れ込んだ。気絶からとうに回復していた格さんもあわててあとを追った。船頭が櫂で地面を突くと、船は岸から離れ、ふたたび大川を下りはじめた。良苔と格さんは、川から這(は)い上がっていた助さんと合流した。助さんのおでこのたんこぶはいっそう膨れ上がっていた。良苔は、大尊を恨みのこもった目でにらみすえ、
「下寺町の要久寺と申したな。木っ端坊主のくせにこの雷覚寺良苔を騙り坊主扱いしおって……この借りはきっと返すぞ。そのとき吠(ほ)え面(づら)かくな!」

 やれ
 船の旅にはな
 いらざるものはよ
 騙り坊主とな
 間抜けな家来よ
 やれさ、よいよいよーい

 三十石の船歌がようやく川面(かわも)を流れ出した。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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