よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka

 そのとき皐月親兵衛はふとあることを思い出し、ふところに手を入れた。
「駕籠屋が斬られたあたりでこんなものを拾いました。三人のうちのだれかが落としていったものかもしれませぬ」
 八幡与力はその紙きれに目をやった。羽織袴を着た大きな猿がなにか白いものをなめている奇怪な絵があり、猿の頭のうえに「十四十三」という文字がある。それらはお粗末な木版のようなもので刷られているのだが、下の空白部に筆の走り書きで「兎殿 水無月猿殿蛙」と書かれている。
「どういうことでしょう」
「さて……わからぬのう。六月に猿と蛙(かえる)……」
 それではそのままだ。
「十四十三とは?」
「水無月の十四日か十三日になにかをするのだ」
 そうだろうか、と皐月親兵衛は思った。それなら十四十三が木版刷りになっているのはおかしい。十三十四ではなく十四十三であるのも引っかかる。
「猿とはなにものでしょう」
「猿山か猿塚か猿飼か……はははは、それでは八猿伝だな」
 笑いながら紙をひっくり返したとき、八幡与力の顔色が変わった。
「どうかなさいましたか……」
 しかし、八幡は無言で紙を見つめたままだ。
「なにかわかったのですか」
 再度皐月が声をかけると、
「皐月、ここを見よ」
 指差したところには、「公事(くじ)吟味の儀、明日相済まざる儀はかかり奉行宅にて吟味を詰め」と筆で書かれていた。
「なにかの反故(ほご)の裏を仲間同士のつなぎに使ったようですな」
「うむ……これはおそらく……町奉行所の公事書付だろう。そうだ。そして、わしはこの筆跡に見覚えがある」
 八幡は腕組みをしてしばらく黙ったあと、その腕を解き、
「物書き方同心尾上権八郎の筆にまちがいない。この右に払うべきところを跳ね上げるのや『か』の文字の丸め方などは尾上の文字癖だ」
「たしかに……そう言われてみれば……」
「皐月、これは容易ならざることだぞ。鴻池善右衛門を襲った三人の侍のうち、少なくともひとりは東町に関わりのあるもの、ということになる」
「いかがなさるおつもりで」
「うむ……わしの思うに、花井戸さまが鴻池の件を放っておけと申されたのは、身内のものが関わっているかもしれぬ、とお気づきになられており、ひそかに調べを進めるおもつりだからではなかろうか。ことが公になっては町奉行所の体面に傷がつくかもしれぬからな」
「なるほど。そうかもしれません。町奉行所のなかに獅子身中(しししんちゅう)の虫がいる、というわけですから、だれが敵でだれが味方かもまだわからない。慎重にことを運ばねばなりません」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

Back number