よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka

「そんなことおっしゃらんと……姉さん行くところにこの豆太あり、だっせ。なにしろ一の子方ですさかい。へっへっへっ……」
「気色の悪い笑い方すな。――しゃあない、ほかに行ってくれそうな相手もおらんし、おまえを連れてこか」
「そうこなくっちゃ。へっへっへっへっ……」
 ふたりはぽいと表に出た。外は夕焼けがきれいだった。
「どこへ行きまひょ」
「久しぶりにごまめ屋に顔出してみたいところやが、ちと遠いさかい、今日のところは数寄屋(すきや)か芳野屋(よしのや)にしとこか」
「そうだすな」
 しかし、ふたりが訪れた店はことごとく満席だった。しかたなく鬼御前たちは、麻津屋(まつや)という、あまりよく知らない店に入った。そこが大当たりで、酒もよしアテもよし客あしらいもよし、しかも値も安く、ふたりは茄子(なす)揉み、キュウリ揉み、冷奴……といった肴で痛飲した。鬼御前は、三升ほども飲み、しまいにはべろべろになった。
「お、おい、豆太、帰るで」
 立ち上がったが足もとがおぼつかない。ひょろひょろと出口に向かったが、頭をしたたかにぶつけ、
「こらあ、どこのどいつや! ひとにぶつかったんやさかい詫(わ)びのひとつも言わんかい!」
「姉さん、それ、柱だっせ」
「柱ゆう男かい。かかってこい! あては口縄坂の鬼御前ゆうもんや」
「姉さん、柱は口ききまへんで」
 豆太があきれてそう言ったとき、表で声がした。
「こちらの店に口縄の貸元さんがお越しじゃあござんせんか」
 豆太が、
「旅人(たびにん)さんみたいだすな。姉さん酔うてはるさかい、わてが応対しますわ」
「大丈夫かいな。仁義で舌嚙(か)んだりしなや」
「あったりまえだすがな。何年、姉さんの下でこの稼業しとると思てなはんのや。なんぼわてでも、やるときゃやりまっせ」
 豆太は憤然として出ていくと、
「こちらに口縄の鬼御前さんお越しでおます」
 鬼御前は頭を抱えて店を出た。
「こら、豆太! おのれの親方の名に『さん』をつけたらあかんやないか」
 すると、旅人は鬼御前を見て、
「おお、鬼御前親分。お久しぶりでござんす」
「あんたは清水(しみず)一家の……」
「へい、小政(こまさ)でござんす」
 男は清水次郎長(じろちょう)の子分、清水の小政だった。以前、旅先の大坂で病を得、鬼御前のところにしばらく逗留(とうりゅう)していたことがあるのだ。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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