よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka

「姉さん、おなつかしゅうござんす」
「わあ、ほんまやなあ。ええとこに来た。さあ、一緒に飲も」
 手を取って店に戻ろうとした鬼御前に小政は、
「それどころじゃねえんで……。姉さん、こいつをご覧になってくだせえやし」
 そう言って小政はふところから油紙に包んだものを取り出した。
「なんやねん、それ」
「姉さん宛の手紙でござんす。お宅にうかがうと、お留守居のおひとが、姉さんは飲みに出たきりまだ帰ってこねえ、とおっしゃるもんで、心当たりの店を何軒か教えていただいたんで訪ねてみてもどこにもいらっしゃらねえ。ここを探し当てるのにゃあ苦労しやした」
「手紙やったらうちの若いもんに預けてくれたらよかったやないか」
「それがその……かならず姉さんに直(じか)にお渡ししてほしい、と念を押されやしたんで」
「だれの手紙やねん」
「姉さんの兄貴だとおっしゃる、武田(たけだ)さまというお武家さまからお預かりして参りやしたんで……」
「な、なんやて?」
 鬼御前はその包みをひねくり回していたが、
「これ……血がついてるやないの」
「へい……実ぁあっしは、親分次郎長の名代で大和(やまと)の荒鹿(あらしか)の貸元の葬式に焼香しにいく途中なんですが、駿府のご城下を抜けて安倍川(あべかわ)沿いの街道を歩いてたときに、松の木の根もとにお侍がひとり倒れておりやした」
「え……?」
 小政の話によると、その武士は立派な身なりをしていたが、顔や首筋に刀傷があり、あちこちに血が滲(にじ)んでいたという。小政が、
「怪しいもんじゃござんせん、あっしは清水次郎長というヤクザもんの子分で小政と申します。すぐに医者を呼んできますんで、ここを動かねえようにしておくんなせえ」
 と言うと、
「なに? 次郎長の子分なら、もしや大坂口縄坂の鬼御前という女伊達(おんなだて)を知ってはいまいか」
「鬼御前の姉さんならよく存じておりやす」
「そうであったか……。地獄に仏とはこのことだ。わしは駿府城代配下の武田新之丞(しんのじょう)と申すもの。わけあって大坂に住む妹のところに参る途上であったが、追っ手に斬られてかくのごときありさま……。やつらを必死に振り切ってここまで逃げてはきたが、そのうち追いつかれよう。貴公を男と見込んで頼みがある」
 武士は油紙に包んだものをふところから出し、
「この書状を妹のもとに届けてはくれぬか」
「でも、追っ手が来るのがわかっていながら、あんたをここに放っておくわけにはいきませんぜ。せめて駿府のお奉行所に届け出て……」
 武士はかぶりを振り、
「理由(わけ)あって、それも叶(かな)わぬのだ」
「どういうこってす」
「話している暇はない。――もし、わしが追っ手に斬り殺されても、書状が妹の手に届けばまだいくばくかの望みはある。だが、わしと貴殿がともに殺されたら、すべては潰(つい)えてしまう。――頼む、一刻も早くここを離れてくれ」
 小政は血だらけで息も絶えだえの人物を残していくことにためらいを覚えたが、
「わかりやした。この小政を男と見込んでの頼み、かならず果たしてみせやす。ご安心なすってくだせえ」
「そ、そうか……すまぬ。かならずや妹当人に直に手渡してくれ。――それにしてもたまたま通りかかったのが妹の知己とは……わしにもまだつきが残っているとみえるな」
 武士は莞爾(かんじ)と笑った……。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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