よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka

「という次第でやす。どうぞ中身をご覧になってくだせえ」
「あんたは読んだんか?」
「へへ……あっしは学問がはんちくで目に一丁字もねえんでさあ。さ、早く……」
 小政に急(せ)かされて、鬼御前は血のついた油紙を破り、書状を取り出した。そこには、ある陰謀についての概略がしたためられていた。そして、
「余は駿府の山中に隠れおるつもりなれど、そこもとこの書面落手したる折、万に一(いつ)余すでにこの世のものにあらざるならば、そこもとただちにこの書面持参のうえ雀丸殿のところに参り助力乞うべく候(そうろう)」
 と結ばれていた。酔いが一度に醒(さ)め果てた鬼御前は、
「その侍、顔がでかなかったか?」
「へい、歌舞伎役者みてえに……と言いてえところだが、奈良の大仏さまみてえにでかい顔のおひとでした」
「そうか……それやったらまちがいない。あての兄さんや」
 鬼御前はその場にしゃがみこんだ。
「兄さんとあては双子でな、ふた親が亡くなったとき、別々の親類に預けられた。あては親類と揉めて家を飛び出し、香具師(やし)の親方のところに転がりこんでこのざまやけど、兄さんは頭が良うて愛嬌(あいきょう)があったさかい学問と商いの道を仕込まれて、そのうちあるお侍さんの養子になって今は駿府城代のご配下で役人をしてるのや」
「そうだったんですかい。おふたりとも苦労しなすったんですねえ」
 小政は、葬式に遅れると一大事だからと言って去っていった。あとに残った鬼御前は、手紙を仕舞い込むと豆太に言った。
「豆太……あては今から駿府に行くわ」
「今から? もう夜中だっせ。それに姉さん、かなり酔うてはります。気も急きまっしゃろけど、今日は寝て、明日の朝一番にお出かけになりはったら……」
「いや、小政どんの話やと、兄さんは怪我してはるうえに追われてるらしい。あてが助けにいかんとどもならん」
「ほな、わてもお供します」
「あかん。おまえには留守を任せるさかいしっかり頼むで」
「わ、わかりました。留守居役、きっちり務めさせてもらいます」
「よっしゃ。――あては家に戻って旅支度するわ」
「雀丸さんに手紙を渡さんでもよろしいんだすか」
「そやなあ……。いまから浮世小路(うきよしょうじ)に行ってたら遅うなる。あんたが渡しといてくれるか」
「承知しました」
 そのときどこかで半鐘の音が聞こえた。大勢のものが叫ぶ声も風に乗って聞こえてくる。遠くに火の手が見えた。野次馬たちが騒ぎながら南に向かって走っている。
「姉さん、四天王寺(してんのうじ)の方角だっせ」
「そやな」
 豆太が野次馬のひとりを捕まえ、
「火事はどこや」
「なんでも下寺町のほうらしいで。あの辺りは寺が集まってるさかい、えらいことになるかもしれん」
 鬼御前と豆太は真っ青になって駆け出した。鬼御前一家がある口縄坂も下寺町のすぐ近くなのだ。ふたりは走りに走った。近づくにつれ、火事の全貌がわかってきた。どうやら火もとは下寺町のどこかの寺である。そこから縦横に燃え広がっている。口縄坂のほうにも火が回っているようだ。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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