よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka

 たくさんの火消したちが大纏(おおまとい)のもとで必死に働いている。彼らの顔は火に照らされて真っ赤になっている。大坂は江戸のような大名火消しはなく、「雨」「波」「井」「滝」「川」の五組に町火消しを編成して防火・消火活動を行っている。また、大きな商家や寺院などはそれぞれ自前の火消しを持っている。それらが下寺町に集結して燃える家を取り囲み、手にした鳶口(とびぐち)で引き倒している。水など掛けても間に合わない。木造家屋はあっという間に燃えてしまう。類焼を防ぐには、家を潰してそれ以上焼け広がらないようにするしかないのだ。
「ね、姉さん……」
「豆太……」
 口縄坂に到着したころには火災はだいたい収まっていた。
「なんともなかったらええけど……」
 そう言い合いながら口縄坂を上ったふたりが見たものは、すでに焼け崩れて熱い炭となった鬼御前一家の家だった。家のまえでは子方たちが呆然としてその瓦礫(がれき)を見つめている。ひとりが鬼御前に気づき、わっと泣き出した。
「姉さん、すんまへん……。まんが悪うおました。はじめは下の道の寺が燃えてましたんやが、風向きが急に変わってこっちに火が来てしもた。うちの家と何軒かだけが焼けたあと、また風向きが変わって……」
「しゃあない。あんたのせいやない」
 そう言いながらも鬼御前の目からも涙が流れていた。豆太が憤然として、
「どこのどいつが火ぃ出しよったのや。どうせどこぞの坊主やろ。そいつ捕まえて、首根っこへしおったる!」
「それがやなあ、豆太の兄貴……妙な噂があるのや」
「噂?」
「この火事は火付けや、それも要久寺の大尊和尚が火ぃ付けたのや……と言うとる連中がおる」
 鬼御前が血相を変え、
「あんた、なんぼ家が燃えても、言うてええことと悪いことがあるで!」
「せやけど姉さん……真っ先に燃えたのは要久寺だすねん。それに……こんなもんがこのあたりの家とか寺にばら撒かれてて……」
 そう言って子方が差し出したのは、一枚の刷り物だった。そこには、

  赤い舌の猫が今夜四ツ時分下寺町をねぶるぞよ。剣呑(けんのん)剣呑。要久寺住職

 とあった。

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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