よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka


 下寺町の火災は出火してから四半刻ほどで鎮火した。大坂人の頭には、あの大塩の乱のとき、大坂の五分の一を焼き尽くしたいわゆる「大塩焼け」が生々しく残っている。あのときは七万人が家を失った。しかし、今回は要久寺に隣接する三軒の寺院の伽藍(がらん)が焼け、口縄坂を上がりきった辺りにある民家が十軒ほど焼けたにとどまった。不幸中の幸いと言えるのは、ひとりの焼死者も出なかったことである。「赤猫の舌」云々(うんぬん)という刷り物を受け取った寺院や商家、民家などでは、どうも薄気味悪いと考え、内々に火事に気をつけていたのだという。
 召し捕られた大尊和尚は天満の牢屋に入れられ、吟味役与力によって連日厳しい取り調べを受けているが、まるで口を割る気配がないため、そろそろ「責め」を行うかどうか……という話になっているらしかった。火付けやひと殺しなどの罪の場合、町奉行の権限で拷問を行うことが許されていたのである。
「たいへんなことになりましたね……。鴻池さんは襲われるし、鬼御前さんの家も要久寺も丸焼けになるし、大尊さんは召し捕られるし……もうめちゃくちゃだ」
 雀丸はそう言った。竹光屋には、大尊の弟子である仁王若(におうわか)と小坊主の万念(まんねん)がいた。ふたりとも寺が焼けてしまい、行く場所がなくなったので雀丸に相談に来たのである。雀丸は鬼御前のところにも火事見舞いに行こうとしたが、居場所が知れない。一の子方の豆太の行方もわからないので、あちこち訪ねて、ようやくひとりの子方の口から、鬼御前が駿府の兄のところに行ったことを知ったが、詳しいことはまるで不明である。
「鬼御前殿は、うちの和尚が火付けをした、と思うておられたようだが、大尊和尚はたしかに大酒飲みで自堕落で檀家(だんか)から金を借りても返さず米や味噌(みそ)、醤油(しょうゆ)の払いも踏み倒し、修行もせずからくりばかり作っておる、世間から見ればとんだ破戒僧であった。なれど、おのれの寺に火をつけたり、諸人に迷惑をかけるような方ではけっしてござらぬ」
 仁王若が言うと万念も、
「はい、お住持(じゅっ)さまは朝から酒を飲んだり、イワシやら刺身やら生臭ものを食べたり、昼寝したり、わけのわからんからくり作ったり、借金踏み倒したり……時には博打(ばくち)もしてはりますけど、火付けをしたりするようなお方やおまへん」
「わかっています。私も今から東町奉行所に行って、掛け合ってくるつもりです」
「よろしくお願いいたす」
 仁王若が頭を下げたところに、
「こんにちは」
 入ってきたのは皐月親兵衛の娘、園である。雀丸とはネコトモだが、今日は愛猫のヒナは抱えていない。その表情はかなり暗かった。園は仁王若と万念に頭を下げると、
「私の父が大尊和尚さんを召し捕ったそうで、皆さんにご迷惑をおかけしております」
 仁王若が、
「いや、皐月さまもお役目としてなされたことゆえいたしかたない。このうえは一刻も早う疑いが解けて解き放ちになることを願っております」
「そのことなのですが……」
 園は言いにくそうに、
「私が父に、大尊和尚さまのお人柄をよく知っているはずなのになにゆえ捕縛したのか、と申しますと、父も大尊和尚は下手人ではない、と上役の八幡与力さまに強く申し上げたがお取り上げにならなかったそうです。大尊和尚の召し捕りはもっとうえのほうからの指図だそうで……」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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