よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka

「うえのほう?」
 雀丸がたずねると、
「諸御用調役の花井戸さまというお方です。諸御用調役というのは与力役席のなかではいちばん高い位で、今のお奉行さまはまだ先月赴任したばかりですから、実質は花井戸さまが東町奉行所を取り仕切っていると言ってもいいと思います」
「牛耳っている、という言い方もできそうですね」
「はい。園さんが皐月さんから聞いたそうですが、鴻池さんのことを揉み消してしまったのも花井戸さんなのです。それぐらい力があるひと、ということです」
 あれ以来、善右衛門は家のまわりに雇った用心棒を何十人もずらりと並べ、外出(そとで)は一切していない。商人がそんなことではいろいろ不都合もあるが、身を守るためにはやむをえないのだ。
「大尊和尚さまが火付けをしたという証拠は、例の『赤猫の舌』云々という刷り物だけなのですが、おのれが火付けをするということをおのれが喧伝して廻るはずがない、と私は思います」
 園がそう言うと雀丸はうなずいて、
「そのとおりです。大尊さんが下手人のはずがない。そんな証拠はいくらでもでっちあげることができます」
「はい。証拠としては弱すぎます。なので、花井戸さまは大尊和尚さまの『責め』をすることにしたそうです」
「えーっ!」
 小坊主の万念が泣き声をあげた。
「お住持(じゅっ)さまは日頃えらそうなことを言っておられますがご高齢で、とてもそんな拷問には耐えられません。死んでしまいます。ああ、お住持さま……」
「それはいけない。なんとか止めなくては……」
 雀丸は拳を握り締めた。火付けは死罪である。拷問を受けて白状しなかったら責め殺され、白状しても獄門柱が待っている、としたら大尊の運命は「死」しかないことになる。
 園が、
「ここだけの話ですが……父によると、火事が起きるまえから大尊和尚さまは目をつけられていたようで、父は八幡さまを通して花井戸さまから、要久寺の和尚が近々なにかしでかすはずなので身辺を昼夜わかたず見張っておけ、とのお指図をちょうだいしていた由……」
「なんだと?」
 仁王若が顔を真っ赤にして、
「うううう……やはり和尚は陥れられたのだ!」
 雀丸が、
「園さん、花井戸さんという方のひととなりをご存知ですか」
「父の話では、かつて大塩平八郎の配下だったそうですが、薫陶を強く受けて、いつも奉行所のなかで天下国家の行く末について熱弁をふるっておられたそうです」
「熱いひとでもあるのですね」
 雀丸がそう言うのを聞いた万念が、
「熱いのが行き過ぎると暑苦しくなります。人間は常に心を冷ややかに保て、とお住持(じゅっ)さまがおっしゃっておられました」
 仁王若がうなずいて、
「禅の真髄だ。暑苦しくなってしまうと他人に嫌がられていても気がつかぬ。当人は正しいことをなしておるつもりでも、よそからは大迷惑となる。どんな境遇でも心を冷ややかに保たねばそのような地獄に陥るのだ」
 雀丸はため息をつき、
「鴻池さんの件だけでなく、大尊和尚さんのことについても花井戸さんがなにか関わっているような気がしますが、どうやって探り出せばいいのかわかりません」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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