よみもの・連載

浮世奉行と三悪人

第十六話 三すくみ崩壊の巻2

田中啓文Hirofumi Tanaka

 竹光屋に入ると夢八はさっそく、
「昨日の夜遅く、烏瓜諒太郎(りょうたろう)さんのとこに、手を火傷(やけど)した、ゆう男が来たらしいんだす」
 烏瓜諒太郎は、夢八のすぐ近所に住む蘭方医である。もともと雀丸が大坂城に勤めていたころの同僚だったが、妹の病を治すため一念発起し、長崎で修業をした。医者としての腕はたしかだが、得た金をほとんど薬代と蘭学書に使ってしまうので、いつも貧乏である。
「そのひとはたしかに右腕にどえらい大火傷してて、当人はカンテキで火を熾(おこ)していたときにうっかり触ってしまった、と言うてたそうだすけど、烏瓜さんはそんなことではあれほどの火傷にはならん……と言うてはりました。一応、手当てをして帰しはったけど、下寺町の火事のことがあるんで、どうも気になる、ゆうて、すぐにわたいに報(しら)せにきはりまして……」
「あいつもなかなか気が利くようになってきたな。――で、どうなったのです」
 雀丸が言うと、
「わたいはこっそりその男のあとをつけました。すぐにそいつが後ろ暗いところのあるやつや、とわかりましたわ。しょっちゅう後ろを振り向いて、つけられてないかどうか確かめよりますのや」
「怪しいやつだな」
 仁王若が言った。
「まあ、わたいぐらいになると見つかるようなへまはしまへんけどな。――そいつ、どこへ行きよったと思いなはる?」
 雀丸が首をかしげ、
「さあ……」
「立売堀(いたちぼり)から橋を渡って東へ東へ……」
「ははあ、東御堂(ひがしみどう)さんのあたりですか」
「なんの。そこからまだまだ東へ東へ。とうとう久太郎町(きゅうたろうまち)一丁目まで出てきよった」
「うわあ、西横堀(にしよこぼり)から東横堀まで行ったんですね。大坂横断だ」
「いや、それでは終わりまへん。農人橋(のうにんばし)を渡って松屋町(まつやまち)に出よった。そこを左へ曲がって今度は北へ北へ。大胆にも西の御番所のまえを通って大川(おおかわ)まで行きよりました」
「天神橋(てんじんばし)を渡りましたか」
「いや、ところがどっこい、川沿いを東へ折れて、なおもどんどん歩いていく。まさかお城へ行くのやないやろな、と思いながらついていくと、なななんと……」
 夢八が講釈師のように声を張り上げたとき、万念がぼそりと、
「東町奉行所に入ったのやおまへんか」
 夢八はがくりと体勢を崩し、
「万念さん、一番盛り上がるところをわたいから取らんといとくなはれ。裏口が開いてて、そこから入りよりました。――けど、なんでわかりましたんや」
 雀丸が、
「みんな、最初からもしかしたら東の御番所に行くのかなあ……と思いながら聞いていました。それにしてもずいぶんと歩きましたね」

プロフィール

田中啓文(たなか・ひろふみ) 1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。

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